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花の回廊―流転の海〈第5部〉 (新潮文庫)

価格: ¥700
カテゴリ: 文庫
ブランド: 新潮社
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宮本輝の作り方 ★★★★★
『流転の海』も、やっと五部まできましたか・・・。
連載開始からもう、二十五年です。
宮本さんの分身である伸仁も五年生から六年生になります。
その間の一年程のお話です。
舞台は富山から、兵庫県・尼崎の蘭月ビルというおんぼろアパートに移ります。
このアパートには主に朝鮮のひとが住んでおり、どの人も強烈な個性をもっていて魅力的です。
そこでお好み焼き屋を営む熊吾の妹・タネに伸仁はあずけられます。

一方、熊吾は大阪で巨大モータープールを作るため奔走します。
この人のバイタリティはあいかわらず凄まじいですね。
そして恐るべき洞察力。
戦後の朝鮮人の祖国への帰還問題も熊吾の目を通してみると、
すっきり理解できます。
人間観察の目もいつもながら鋭い。
彼の言葉だけ集めて、一冊のアフォリズム集ができそうに思われるぐらいです。
彼のエピソードはどれも面白いですが、特にヤカンのホンギとのものが印象に残りました。
茶道に精通した在日朝鮮人である彼との「侘数寄者」と「茶の湯者」に関するやりとりが特に興味深いです。
 
また、伸仁が蘭月ビルの住人と過ごすなかで、たくましく成長していく過程を読むと、作家「宮本輝」のルーツが分るようで面白い。
もちろん、伸仁=宮本輝ではないですが、そのように読んでしまいます。
この小説の中で起こることのどれが「事実」でどれが「虚構」かについては、「言わない方がいい」とあとがきで宮本さんは語っています。
その辺を想像するのも、この小説の大きな魅力です。

熊吾と海老原太一とのあいだに繰り広げられるエピソードが、六部へ続く橋のように架かっています。
早く六部が読みたいものです。
伸仁の成長、熊吾のこれからが楽しみ♪ ★★★★☆
待ちに待った第5部。この作品では、熊吾は無一文だ。房江は毎日
いやな思いをしながら小料理屋で働いている。熊吾の妹タネに預け
られた伸仁は、そこに暮らす人たちの貧しさを肌で感じている。
貧しさは同じでも、生きていく方法は人さまざまだ。そういう人たちを
見ながら生活する伸仁は、たくましくそして心の優しい少年になって
いく。彼の成長を読み続けられるのはとてもうれしい。一方で、熊吾の
事業はどうなるのか?伸仁をとり巻く人たちのこれからは?気がかりな
こともたくさんある。第5部の終わり方は消化不良という感じだ。この
続きを当分読めないのはとても残念だし、体に悪い(笑)。作者に、
できるだけ早く第6部を書き上げてくれるように頼みたい。
小説に思想はつきものでしょ? ★★★★☆
あとがきを読んで、驚きました。
このシリーズを執筆して、もう25年になるんですね。

学会云々と評されることについて一言。
私は関係者ではありませんが、
仮に、小説がプロパガンダであったとしても、
そこを非難することに疑問を感じます。
いつの時代も、思想が加わってこそ、小説は深みを増すのです。

ケータイ小説に代表されるような、薄い内容より、
思想が詰まった小説を大切に読んでいきたいですね。
『青が散る』を連想してしまう伸仁の姿 ★★★★★
あまりにも第4部から時間を要しているので、最初はこの流転の海の世界に戻るのに時間を要した。
松坂熊吾がほとんど一文無しになって尼崎市でどう生きていくのか、貧乏の巣窟と熊吾に言わせた蘭月ビルで伸仁を育てることなる第5部は、この作品から宮本輝『青が散る』への流れが目に浮かぶものだった。伸仁がやがて大学生になったとき、『青が散る』に出てきたように房江は再び住込みで働かざるを得ない状況になるのだなとか、この蘭月ビルの人間模様が伸仁に染みついて泥臭い人間関係を結ぶタイプになったんだなとかを繋げて連想してしまうのだ。もちろん『青が散る』は流転の海ではないし、登場人物の名前も違う。が、人間の根っこの部分、熊吾がこの本で言葉や態度で示すような宿命にあらがいながらも人徳がつきまとう熊吾と、この本に出てくる幼い伸仁が成長した様として『青が散る』をつい連想してしまうのは読者の醍醐味というものかもしれない。となると、そういう愉しみを味わえるこのシリーズは何はともあれ傑作というべきかもしれない。
待ち遠しかった第5編! ★★★★★
宮本輝の自伝的小説「流転の海」第5編。第4編「天の夜曲」は富山だった。
熊吾もだいぶ丸くなったと思ったら、また新しい事業を始め、失敗の予兆を残しつつ終わった。
案の定翌年の昭和32年、再び松坂熊吾一家は一文無しとなる。
10歳の伸仁(宮本輝)は尼崎のアパートに移る。周囲は貧しい朝鮮人が多かった。伸仁は戸惑い、ここでもさまざまなことを学んでいく。

実は実生活では、この頃かそのあとぐらいに、伸仁の母は創価学会に入会し、伸仁(宮本輝)はそれに激しく反抗したという。
しかし結局父熊吾が死に、宮本輝も熱心な学会員になる。
宮本自身、「私は創価学会思想を広めたくて作家になった」とまで言っている。

実際、彼の文学には「警句」がちりばめられている。「天の夜曲」などは、
父と子の会話の中に、読んでいて「なるほどなあ」とうなる言葉がたくさんあった。
「男は自分の自尊心よりも大切なものを大切なものを持って生きにゃあいけん」――とか。

誰かが、宮本輝の小説は「学会思想のプロパガンダだ」と言った。
確かにその通りだと思う。しかしそれでもいいのではないか。
私は創価学会は、正直嫌いだが、単純に教義だけを読むと、それなりに「良いこと」を言っている。
政治団体「公明党」とつながっていることがコトをややこしくしているのだ。

宗教色の強い小説がすべてNGなら、欧米の古典などはほとんど駄目と言うことになる。
思想色の強い小説が駄目なら、小林多喜二なども駄目になる。
文学は、読み手が冷静であれば「オルグ」はされないと思う。

それはともかく本書である。
第五編。自分たち以上に貧しい者、底辺にいる者への人としての接し方を伸仁は学ぶ。
やはりここでも警句はちりばめられる。

それにしてもこのライフワーク的長編は、いつ終わるのだろう。10編ぐらいまで続きそうな勢いだ。