昭和21年の敗戦の混乱期。自ら情熱を持っていた教員生活に自信を喪失し、退職。どうしようもない虚無感から、「ヴァンプ」と噂される程の精神的堕落を覚え2重婚約をするまでに至る。さらに肺結核を患い、13年間の闘病生活が始まる。
釈迦は今まで自分が幸福だと思っていたものがすべて虚しくなり、山の中にはいった。そして聖書のはじまりも「混沌」であり、「世のすべては虚しい」と説いている。このことに目を止めた綾子は、幼なじみでクリスチャンであった前川正の深く清らかな愛情で、次第にキリスト信仰の道へ、迷い疑いつつ激しく葛藤しながら進んでゆく。本書は虚無と絶望からはじまる「自分のこころの歴史」を赤裸々に、また緻密に描き出した著者の自伝小説である。
また、著者自身の信仰生活の道程が記されているとともに、青春期を通して多くの人々がぶつかる「真の愛とは何か」「人が人を愛するとはどのようなことか」を深く追求しつづけたその姿が記録されている。
「綾ちゃん、人間はね、一人一人に与えられた道があるんですよ」と前川正によって優しく語られる言葉が本書の主題であり、さまざまな困難や過酷な状況にあろうとも「神への全き信頼」を抱くまでに成長した綾子の姿が読者のこころを圧倒的に魅了する。
青春編とあるだけに、若い読者の「自らの道を求めている」魂に響く部分が多い。また青春期を過ぎた読者にとっても、著者とともに自分の青春期を振り返る作業ができる感慨深い作品となるに違いない。(青山浩子)
ぜひ一読を
★★★★★
真摯に誠実に生きよう、と素直に思える心が洗われるような一冊です。
これから何度も何度も読み返すと思います。
心を揺さぶられます。
★★★★★
読み返すたびに強く心が揺さぶられます。
最後は、どうしても泣けてきます。
生きることに真摯で、誠実でも、辛く悲しいこともあります。
でも、神様は決して私たちを見捨てずに、導いてくださいます。
三浦綾子さんの青春、そして生涯は、
限りない神の愛を表すものだったとこの本を読むと思えます。
心を揺さぶられる
★★★★★
単なる自伝でもなく、普通の小説でもない「自伝小説」という形をとった書物であるゆえでしょうか?
読み進めるに従って、主人公である著者の人生に寄り添って歩んでいる自分に気がつきました。それは、主人公自身を少し離れたところから振り返る著者の視点がそうさせたのかもしれません。または、そのような著者の記述の背後に主人公を愛し、導いた神の見えざる手が見え隠れしたからなのかもしれません。前川正氏の生き方、愛し方は、「私もそのように生きたい」と思うことさえ恐れ多く、神妙に自分の醜い心と正直に向き合う機会となりました。著者の精神的苦難、身体的苦難とそれを周りから支えた人々の思い、著者と前川正氏の心の交流が直接、私の心に語りかけて来ました。
「生きることは苦しく、謎に満ちています」という前川氏の遺書の言葉どおり、人生にはどのような光も届かないと思われる暗闇や、なにものも力づけることができないような絶望感、そして一歩先には何が起きるかわからないという得体の知れない不安があります。著者はそのような中で、暗闇に光を照らし、絶望を希望に変え、将来に安心を与える神と出会ったのです。
この小説がもたらす感動はただ単に感情を動かされる感動でありません。心を揺さぶられ、その心の周りに絡み付いているいろいろなものを振り落とし、自分の心のありのままの姿と対峙させれるような感動です。そのような深い感動を味わい、自分の人生を自分の心をとらえ直すことで見つめ直したい方におすすめの一冊です。
深い感動と神々しい静寂感
★★★★★
著者の最初の恋人である前川正さん、そして夫である三浦光世さん
お二人の誠実さ、強さ、そして深い愛に感動せずにはいられませんでした。
電車の中で読んでて、何回も涙が溢れそうになりました。
著者自身も、病気、恋人の死など壮絶な悲しみの中、
常に自分自身を謙虚に、内省しながら生き、キリスト教に光を見出します。
人間が自我を乗り越えて、魂に従って真摯に誠実に生きていくとき、
そこに人を感動させる何かがあるのだと感じました。
日本は物質的にはとても豊かになりました。
でも、昔に比べて他の人への思いやりも豊かになったでしょうか?
今当たり前のように享受している健康、家族、食べ物、友人など
どれをとっても奇跡のようにありがたいことなんですね。
自分の生き方を改めて考えさせてくれた珠玉の一冊。
今この時代にこそ、もう一度読んでほしい本です。
彼(正さん)の生き方を知ってほしい
★★★★★
こんなにも自分以外の人間を愛し尽くすことが出来る人間が
この日本に、昭和の時代にいたなんて。
いや、こんなにも相手を思いやって愛することが人間に出来るなんて。
男女の愛なんて、
裏切りや自己中心的な思いとの葛藤で苦しむことが多いけど、
そうではない愛を築くことが出来る・・・と、知らされました。
それがキリスト教の信仰の凄さか。