文句なしの5つ星
★★★★★
徴兵逃れのために全国を旅した過去を持つ男の話
いい年してトイレに行けなくなりました
「徴兵忌避」した男を主人公に、国家とは、自由とはを描いた秀作
★★★★★
先の大戦で「徴兵忌避」した男、浜田の癒されぬ心の傷や周囲の偏見を通じて、「あの戦争が残したものは何だったのか」を追求した秀作。戦後(昭和37年頃か)、浜田は徴兵忌避した事を公には隠して大学の事務局に勤めている。しかし、徴兵忌避後、杉浦と名乗って、全国を砂絵師として苦難の逃避行をした事が忘れられない。ここで作者の技巧があり、浜田の回想シーンに入る際、何の断りもなく、単に名前を杉浦と変えるだけなのである(出奔後)。過去の回想と現在の姿とが交錯し、浜田の彷徨する心が巧みに映し出される。
浜田は積極的に徴兵忌避を選択したのだが、負い目を感じている。家族に、戦争に行った友人に、愛人に、そして自分自身に。それは、現在でも続いている。戦後なのだから、「「徴兵忌避」は正義だった」と主張する事も可能なのだが、実際には出来ない人間心理の綾が描かれる。そして遂に、昇進問題をキッカケに徴兵忌避の件が多くの人の知る所となり、左遷の通告。俗人の嫉妬と保身である。ここで過去の回想に入り、戦争に行く友人達と交す国家論・天皇論は作者の信条そのものであろう。軍隊・戦争嫌いの作者の願望が浜田を産んだとも言えるが、結末に向かって、徴兵忌避を決意した時の浜田と現在の浜田の"我儘"を中心とする現実把握力のギャップを冷静に記述している手法は流石と思った。浜田の妻の件も、逃避行中の愛人との対比で皮肉が効いている。
題名は、古今集中の次の歌による。辛い逃避行中の一時の安息の想いか。
「これもまたかりそめ臥しのささ枕 一夜の夢の契りばかりに」
「ららら科學の子」へ
★★★★★
まぎれもない傑作。
ここまで面白くて、古さを感じさせない小説が
43年前(2009年現在)に書かれたのは驚異的です。
もっとももしこの小説が古さを感じさせる時が来るとしたら、
それは日本がやばくなってきた時かもしれません。
それはそうとして、この本の文体は明晰で実に分かりやすく
好感が持てます。
私はこれを読んで
矢作俊彦の「ららら科學の子」と
フォークナーの「八月の光」を思い出しました。
両方とも本作とは大きく違うところがあるけれど、
主人公が流浪するところは似通っていないでもない。
そうして、「笹まくら」は暗いところが少ない。
人生の重みは伝わる、しっかり伝わる、でも暗くない。
これはやっぱりジョイスの影響が大でしょう。
「ららら科學の子」には、現代日本をとても悲しく感じているところがあった。
しかし「笹まくら」はどこか牧歌的で、
少年の冒険とさえ言って良さそうなところがあります。
「身捨つるほどの祖国はありや」という寺山修司の言葉。
それを思い出すような、
国よりも戦争よりも個人の生き方を大切にするという
姿勢を感じます。
だから、この小説が古くなる時があるとすれば、
自由な生き方が禁じられる時
そういうやばい時だと思うのです。
蛇足:「あるかな?ないねえ。ここんところに。ないねえ。」に
笑いました(酔っぱらいの意識の流れ)。
文句ない傑作です
★★★★★
米原万里さんの絶賛評を読んで買いましたが、予想を大きく超える大傑作でした。
ごくごく平凡な大学職員である主人公。。。。
しかし、過去と現在が同時にフラッシュバックする独特の文体が、
主人公の脳裏を再現するかのような非常な緊迫感を生み出しています。
あの暗い時代の息が詰まるような苦しさ、、、
戦争とか徴兵の重みを、戦争の悲惨さを伝える類書とは違う、
まさに、自分の身の上に迫る内面の恐怖として、ひしひしと感じることができました。
そして、安寧かに見えた主人公の現在の生活にもラストで予想外の亀裂が。。。
これだけの深みある内容に加え、ミステリのような醍醐味まであります。
これだけの傑作なのに、米原さんが紹介してくれるまで聞いたことがありませんでした。
おすすめです。
力作もケレンが見えて・・・
★★★☆☆
物語としては面白い。テーマも構えが大きく、内容も浅くなく、五木寛之の最高レベルの作品を軽く凌駕する。
しかし、『ユリシーズ』風の文体の頻出には正直、古臭さを感じた。『ユリシーズ』は決して古くならない。しかし、この作品の「意識の流れ」ぽく挿入される文章にはエロス(モリーナのように)も、死も感じない。しかし、この作品も良く持ったほうだと思える。
米原万里が絶賛していたから、ホントに久しぶりに再読したが、力作は疑わぬものの、そこまでの感は否めなかった。