900ページ超の暴力を前にたじろぐ長編小説
★★★★★
物語の端緒は1930年代。済州島から大阪へと渡り、蒲鉾工場で働く魁偉の金俊平は極道からも恐れられる猛悪な男だった。家族や親せき、複数の妾や在日同胞までを暴力によって支配し続けたこの男の壮絶な生涯を描く。上下巻合計で900ページ超の長編小説。
感情のおもむくまま理屈の通らない乱暴狼藉を周囲にほとばしらせて生きる金俊平。
梁石日の圧倒的な筆力が作り上げた怪人ですが、モデルにしたのは作者自身の父親とのこと。それで思い出すのは同じ作者が書いた回想録「修羅を生きる―「恨」をのりこえて」(講談社現代新書)です。こちらはまさに父親の実像を描いた書ですが、これを以前読んでいたとはいえ、「血と骨」の金俊平の破壊者ぶりにはなんとも言葉が出てこない衝撃を改めて受けました。
また「夜を賭けて」で描かれた戦後混乱期の在日朝鮮人社会にはある種爽快なまでのバイタリティが感じられました。しかしそれはこの「血と骨」には微塵もありません。ひたすらなばかりの暴力に、金俊平の周囲の人間は逃げるでもなく支配され続ける。登場人物たち同様に、読む私もまた彼の前で立ちすくんで足が動かない思いを覚えたほどです。
そしてその果てしなく続く暴力が生みだした最終生成物のなんと空虚で哀しいことか。
金俊平の末路は、彼が長年月にわたって周囲に繰り出してきた暴力と同じくらいに、むなしいものです。
そしてそれを自業自得の言葉で片づけるのはたやすいとはいえ、金俊平の息子・成漢の胸に残った、解消することのできないわだかまりを覗き見ると、なんともやりきれなくて仕方ありません。
そんな思いを募らせるこの小説がなぜかくも魅力的なのか。
人生のままならいさまをつきつけられるからなのか、それとも、親と子の切りたくとも切れない絆の悲痛で無情な姿を思い知らされるからなのか。
胸を引き絞られる思いのする900ページでした。
怪物の最期は・・・?
★★★★☆
久しぶりに良い小説に出会えたと思う。
内容事態は、あくまで金俊平の強欲、暴力、性欲がひたすら続く不毛とも言える展開が中心なのだが、冷静かつ、シンプルな作者の描写は、読んでいて飽きがまったくこない。
観念的な場面は描かず、徹底的にそぎ落とした文章は、作品の唯物論的世界感を的確に表現している。
鬼畜とも言える金俊平の所業は、突然の病により、一気に衰える。
最後は、無残な展開が待っているのだが、因果応報・・・なのだろうか・・?
個人的には、滅多にお目にかかれない位の傑作だった。
他の作品も目を通してみようと思う。
腹壊しそう…
★★★★☆
金俊平はなかなかの…人らしい。でも料理が上手そうだ。
定子がそんなに美味しい物と言うのなら、その常識を覆す料理(ごった煮)を1度口にしてみたいもんだ。
でも…やっぱり、
口にする自信がない…
人間の業
★★★★★
妻の英姫に資金を用意させ、蒲鉾工場を立ち上げる金俊平。
それにしても英姫は生活力がありますね。
金俊平なんかと関わらなければ一財産築けたのではないでしょうか。
自分の子供たちにも昼夜を問わず働かせるが、工場で得た金は
家族の為には一切使わない。
相変わらず、自分の好きなように生きる男です。
その奔放な生き方が鮮やかだった分、晩年の境遇はいっそう哀れに感じる。
最後の愛人である定子やその子供たちは酷い人間だと思ったが、
定子だけの問題では無く、妻の英姫や子供たち、定子の前の愛人である
清子にしてきた事の報いではないだろうか。
自分の長男である成漢に「チャネ(あんた)、チャネ(あんた)」と呼びかける金俊平。
そして人生最後にして最悪のバッド・チョイス。
人間の業を感じさせます。
在日文学の特長と限界
★★★★★
たぶん、かなり誇張されてる部分もあると思われるが、程度の差こそあれ、主人公のような生き方しかできない人は結構いたんじゃないだろうか。
自分の父が作者と同世代、祖父が主人公と同世代なので、父や祖父、そして年長の親戚知人の姿が本作の登場人物に重なり合って見えたりする。
自分に限らず、ある年代以上の在日ならそう感じることだろう。
本作に特徴的な、ある種クローズドなリアリティが在日文学(とカテゴライズして良いものかどうかわかりませんが)の特長でもあり、また、必然的に限界でもあると考える。
過剰な描写が鼻につくきらいもあるが、自分自身が在日なので思い入れ度が高く、星5つを献上。