「わたしが『失楽園』で書こうと思ったのは、きわめて高度化した近代文明社会とは裏腹に、われわれ人間は所詮動物であり、地球上の他の生物となんら変わることのない雄と雌なのだという原点が見失われている危機感を覚えたからです」
明治以来ヨーロッパ・キリスト教社会の影響を強く受けてきた現代の日本は、「精神的なものを一方的に上位に置き、肉体的なものを下位に見る傾向がすすみ、精神と肉体とは本来一体であるべきなのに、いつの間にかこの2つが分断されてしまいました」。「一夫一婦制は近代社会が作り上げた相当無理のある制度ですが、西洋諸国のように離婚・再婚を繰り返すことにあまり抵抗のない社会では、それなりに制度が人間の本質に合った形に修正されてきたといえそうです」
かつて一大「失楽園」ブームを巻き起こしたこの恋愛小説の名手は、何も不倫や離婚を勧めているのではない。ただ、「一人の男と一人の女が生涯を共にし、脇目もふらず一緒にいる形」が「果たして人間を幸福にしたか」ということに「いささかの疑問」を感じ、それはむしろ、「人間を息苦しくし、苛だちをつのらせ、生きものとしての生彩を失わせることになった」のではないかと考えている。そこで腕を振るったのが、『男というもの』。男の子の“性の目覚め”から、「処女願望」「なぜ“風俗”に行くのか」「浮気と本気」「絶対愛とは」など、男と女の考え方、感じ方からセックスの違いまで、自らの体験を交えながら徹底的につづった。よりよい愛をはぐくむために知っておきたいことがあまねく網羅された刺激的なエッセイである。(家永光恵)
『私』というもの
★☆☆☆☆
この本の題名は「男というもの」ではなく「私(作者)というもの」としなければならないだろう。下衆でいつも頭の中は性交の事を考えている事が、「男」であれば普遍的で許されるという老人の偏見をまき散らすのはやめて欲しいものだ。
男はなるもの、そしてむずかしいもの
★★★☆☆
一般論的で平均的に男性をとらえすぎている。が、読んで参考になり、損は無い本だと思います。しかし、これをマニュアルに女性が男に対すると失敗することもあるのではないでしょうか。世に例外なきはないからです。
結婚について書かれた箇所があり、以下は私が感じたことです。
著者は『現代の結婚制度は時代の変化に対応しきれず、さまざまな歪みがでてきている』また『愛もないのに結婚生活を続けるより、本当に好きな人を正直に懸命に愛するほうが真の倫理にかない、人間として真実の姿なのではないか』としている。
これについては、男性をどう考えるかを云々するのは良いが、如何なものかと思います。結婚生活には、第三者(子孫、両家の両親、縁者、友人)が関係し、社会と関わりをもって成り立っているのであるから。特に子供に対しての責任を放棄して、愛人の元に行ってしまうのは(渡辺氏著書『愛の流刑地』の主人公冬香のように)、ほとんどの動物もしないことなのではないでしょうか。著者は『人間は高度化した近代文明とは裏腹に所詮動物であり、他の生物と変わらぬ雄と雌なのである。本来生き物として持っているはずの雄と雌の命の輝きを、取り戻したい』としています。人間は動物であり、遺伝子は利己的に存続し続けたいのも納得できますが、しかし動物も子供が動物として生活できるまで育てるように、子供が人として一人前になるまでは、せめて自己を律し、結婚生活を営むことが、人間社会の未来を作っていくのではないでしょうか。
私が男性であるから解かるのですが、著者の言うように男は概してその本能により浮気性であるのは事実。だからこそ、将来の世を想い、欲の赴くままではなく謙虚と我慢と犠牲も必要かと思います。
なにより、最善は配偶者を愛することとその能力、無い場合は努力なのではないかなと思いました。
結局は下半身の話なんだよなぁ〜
★☆☆☆☆
エセ文学者の著者が男の姿(主に性的嗜好)を語ろうとしたもの。この著者は作家になってから、男女の性愛にしか興味がないので、自然に話はそちらの方向に行く。話の内容は男にとっては"ありきたり"の物で、本にする意義が感じられないが、女性レビュアの評判が良いのと解説を担当しているのが俵万智氏と言う事から女性向けの本と言う事であろう。
だが、騙されてはいけない。本書の内容は著者の妄言であって真実ではない。確かに人間も生物の一種であるから、生殖の問題は避けて通れない。しかし、男は年柄年中"性"の事を考えて行動して訳ではない。男同士で良く言われるのは、「二十代までは女性に興味があるが、三十を過ぎると男同士で遊んだ方が楽しい」と言う事である(例外もあるだろうが)。著者はだからこそ、中年を過ぎても男女間の性愛が必要と言う立場で本書や他の本を書いているが、それはハッキリ言って気味が悪い。自然界では、人間を含む一部の霊長類を除くと、生殖能力を失った生物は死ぬ。人間だけが、その後も長生きするのである。この後半生をどう過ごすかという点は人間にとって重要な課題だが、著者は常にその答えを性愛に求めるのである。「人間らしい生き方=男女の性愛」という図式が固定観念として頭に刷り込まれているのである。幅広い生き方を排した偏狭な思い込みである。
どんな本を書いても、結局は男女の性愛にしか話を落とせない著者の下劣さが出た作品。
男のさががこの一冊で言い尽くされている
★★★★★
今この書評に目を通しているあなたも、この書評を書いた僕も,ともにヒトである。サルやウマと違って本を読む.世の多くの本には,ヒトの心のことが、まま書いてある。ままどころではなくて、心の動きは文学の大きなテーマであり、特に性はもっとも奥深い主題のひとつとされている。「性を書けなくて、文学の大家とは言えない。特に、女の性の奥深さを書けなくては」とは、よく言われることだ。そして、典型例として源氏物語がよく引き合いに出される。光源氏に愛された多くの女性が一人として同じ性格ではなく、それぞれがそれぞれに不幸になるのが書いてある。中身が濃いのに超長編、僕も明石で読むのを中断したままだ。女性を書いた本は、ほかにも万巻ある。それほどに、女性は多様で奥深いということだろう。僕はいまだに女心がわからない。
ヒトという点では共通するが、男はオスであるという点で、女性と異なる。どう異なるのか。それをズバリ言い尽くしたのが、この本である。僕は男で、この本の最初から最後まで全部同意する。まったくこのとおり、これ以上でも以下でもない、オスという切り口で僕もこうだ。著者に力量があるとしても、文庫本たった一冊328ページで言い尽くされてしまうとは、男とは女と比べてなんと薄っぺらなものだろう。
男と女、生と性
★★★★★
章立てになっていて、それぞれのテーマについて具体的に書かれてあるのでとてもわかりやすく読めます。
男というものがどんな生き物なのか。そしてそれに対して女はどのようなものなのか。
「男」を説明するには、対比として「女」が登場するのが必然だと思いますが、それぞれがどのようなときにどのような違いがあるのか具体例が書かれてあり理解がしやすい。「なるほどなあ」と思わせられることが多々ありました。
男の現実感と女の現実感、そしてまた双方の浪漫。
男女関係を良好に保つために参考になることが書かれてあるとも思います。
また、渡辺氏の数々の恋愛小説を描く基盤となるデータベースであるようにも思えます。
「絶対愛」という言葉、「結婚というのは、お互いに何もかもさらけ出す日常そのもの」という意味、よく感じ取り、自分にとっての幸福感を形成しなければと思います。