モリス・バーマンは、数学を学んだ後、科学史で博士号を取得し、幾つかのキャリアを経ながら、本書以外に(『社会変革と科学的組織』『私達の感覚へ』『アメリカ文化の黄昏』)3冊の本を書いているが、本書は2冊目の著作。
西欧近代科学的な思考の仕方(参加しない意識)の科学史を前半の4章(ギリシャとユダヤの起源から、ベーコン、デカルト、ガリレオ、ニュートンまで)であとづけ、後半の5章(ポランニー、バーフィールド、ライヒ、W.ベイトソン、G.ベイトソン)でオルタナティヴな思考の仕方(参加する意識)の根拠から倫理までを駆け抜けている。このため、本書は科学史としての読み方と、ポスト・モダン思想としての読み方が出来ようが、私には特に後者の読み方で参考になった。
特にグレゴリー・ベイトソンの精神の生態学から見えてくる風景を、父のウィリアム・ベイトソンから辿り直した7・8章は、父の自然科学の薫陶を受けたグレゴリーの側面を見るには圧倒的に素晴らしい要約で、現在日本語で読めるベイトソン思想の紹介としては最高峰のものであろう。この部分は、ベイトソンの遺作『天使の畏れ』や伝記『娘の眼から』が現れた現在でも読むに値するものがある。
但し、そうしたパターンを看取る数学的な観察眼が裏目に出たのだろう、特に前半部には各領域の専門家が読んだら卒倒しそうな単純化された記述や、近代か非近代かといった二者択一的な記述があり、そこは読者が斟酌して読む必要があるように思われた(とはいえ科学史を専門としていた著者なので、各科学者の実験を紹介する手腕は優れていて、童心にかえったかのように読むことができた)。
最終章のベイトソン思想から見えてくる、可能な未来と懸念される危険とは、玉石混交に見えるが、どこを「玉」とし、どこを「石」とするかは読者に任せられよう。