インターネットデパート - 取扱い商品数1000万点以上の通販サイト。送料無料商品も多数あります。

精神と自然―生きた世界の認識論

価格: ¥2,100
カテゴリ: 単行本
ブランド: 新思索社
Amazon.co.jpで確認
「精神(こころ)」 のエコロジー ―― 来るべき時代の「エピステーメー」としての「システム論的 『神学』」 ★★★★★
グレゴリー・ベイトソンが評価されるべきは、晩年の本著を中心とする「精神(こころ)のエコロジー」なる思索の展開にあるように思う。  

彼の考え方は、以下のようなものだ。

我々個々の「精神(こころ)」は内在的なものだが、ただ身体内の特定の器官、脳などに属するものではない。
それは、身体の外部のさまざまな「経路」や「メッセージ」の中にも内在している。
そしてさらに、そうした個的な「精神(こころ)」をその下位システムとして包含するようなもっと大きな「精神(こころ)」がある。
この「大きな『精神(こころ)』」はいわゆる神や宇宙などと比すべきものであり――おそらく、特定の信仰、宗教などのグループを形成する人々が「神」と呼ぶ存在はこうしたものを指すのであろう。
しかし、この「精神(こころ)」はあくまでも、相互につながりあった人間の社会システムや地球の生態系、さらには宇宙全体を含めた相互の「働き」の中にこそ内在しているのであろう。

ここで言わんとすることは――
サイバネティクス的な意味での動的な働きとしての「精神(こころ)」、あらゆるシステムに内在する「精神(こころ)」という概念を、敢えて呈示する必要があるということである。

読み誤ってはいけないことは、ベイトソンは決して、われわれが通常慣れ親しみ、意識せず使っている人間的な「意識作用」としての「精神」を、強引に自然へと投影しているのではないということだ。

むしろ彼の思索の展開は――
われわれの「思考」のプロセスと生物進化のプロセスとをつなぐ相同的なパターンを認めることによって、それが共に、学習し、進化し、自律性を持ったあらゆるシステムに内在する「精神(こころ)」の発現であるという認識にいたったのである。

「われわれが 『精神(こころ)』をもっている」のではない。
ベイトソンの考え方からすると、人間の「精神(こころ)」とは、器官としての脳を含めたわれわれの身体と、それを取り巻くあらゆる環境の中にある関係性のネットワークから、いわば「立ち上る『作用(働き)』」であると言った方が正確なのである。

「われわれの唯一真実の自己とは、人+社会+環境からなる全サイバネティック・ネットワークである」――という彼自身の言葉からもそれが伝わってこよう。

たとえば、布を織り上げる人がいるとしたら、布−眼−脳−手−機織機−機布・・・という一連の「作用(働き)」のプロセス――そのシステムそれ自体に「精神(こころ)」が内在している ――と言うべきであろう。

これは、地球という限局された生態系のみならず、全宇宙にまで広がるあらゆるシステムの「精神(こころ)」が織りなすメタレベルのエコロジーをも射程に置いた思想=「メタ・エコロジー」とも、「メタ・認識論」とも「メタ・心理学」あるいは、「システム論的 『神学』」とも名付け得ようか。。。


その先駆的な知的思索実験は、今後さまざまな形で、さまざまな領域において注目を集めてゆくに相違ない。
そう遠くない将来、いずれ、来るべき文明史的な「エピステーメー」あるいは「パラダイム」の基盤的テーゼとして取り上げられるであろう。

本書を携えて ★★★★★
ベイトソンが教鞭をとったカリフォルニア大学サンタクルーズ校の

クレスゲカレッジに隣接する

森を中を散策してみると、ベイトソンがどのような世界観でもって

どのような思索を続けていたのか?

少しだけ理解できたような気になった。
いまだにほとんど理解ができませんが。。 ★★★★★
この本はいまだに理解しきれていない部分が多すぎですが、頭が良くなった気がします^^;
何となくではありますが、思考の中の深い場所にベイトソンの考え方が生きづいた気がします。

1ヶ月ほどかけてやっと読了できた本ですが、読み進めるうちにスピードが増して理解度も上がってきました。
それに伴い他の生活にて自然と読む文章の理解度が増してきたような感覚がありました。

まさしく思考力を底上げされたという感覚です。
一度読むとその感覚が得られるかもしれません。
一度は手にとってみて ★★★★☆
1982年に出版され、絶版状態になっていたけれど、新装改訳版として刊行された本。
ジェットコースターのような文章で、正直な所ついていくのがしんどかった。でも、この本は好き。莫大な知識の統合は本当にすごいと思う。特に、進化論のところが面白かった。
「誰もが学校で習うこと」は、全然習ってない内容だったので驚いた。ちょっと冷笑的な文章が素敵だ。如何に、思い込みがあるかを自覚させてくれた。
そして、最後の父と娘との「対話」の部分。
たまに、親子でこんな会話をするのも良いけれど、これが毎日だったら嫌だ。でも、ベイトソン家では当たり前の光景だったのかもしれない。
あと、自分で「ベイトソンする」と言ってしまうところが、結構面白かった。
とても読み応えがあったし、用語解説がついているところも嬉しい。
認識としての説明 ★★★★★
「ゆでたてのカニを生物の死骸であるということを私に納得いくように説明してみなさい。」
涼宮ハルヒのような突飛な質問は、学問の発展に重要な実験だということが分かる。
何かを厳密に説明しようとすると、実は常識だと思っていたことが、ある仮説にすぎないことが分かる。
キャリブレーション(較正)とフィードバック(負帰還)のようなサイバネティックス的な着想。
ps.
レヴィストロースが文化人類学として整理したと訳注に書かれている内容は未確認。