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論理的原子論の哲学 (ちくま学芸文庫)

価格: ¥1,155
カテゴリ: 文庫
ブランド: 筑摩書房
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訳が上手いし、注釈も適切 ★★★★☆
ラッセルの講演をもとにしたものですが、適切に注釈が入ってるので、スムーズに理解できます。ラッセルの哲学に触れるならば、本書はお勧めです。

少々誤字脱字があるものの、全体としてはうまく翻訳されていて、読みやすいです。
読みやすい翻訳ゆえに、内容そのものの難しさや不可解さが感じられる ★★★★☆
かなりこなれた翻訳。ときどき、脱字があるのは出版社の校正のせいだ。せっかく読みやすい翻訳なのだから、もう少し丁寧だったら良かったが、気になるほどでもない。小著ながらラッセルの或る時期の考え方をかなり網羅的に出しているとのこと。講演なので、流していて、不可解なところもあるが、丁寧な注がフォローしてくれる。「命題」と「事実」をはっきり分けて、真理とは、「命題」の「事実」に対する適切な対応関係がある場合を指している事になるが、ひどく素朴で、文句のつけようが無い。あまり素朴ゆえに、それで良いのかと思う。単純に、「事実」とやらを指せる場合は良いが、「事実」を指せないような複合的な諸問題が世の中にはあるわけで、これについては、禁欲的に、真偽の判断を下さないとなると、酷く息苦しい感じがする。また、「事実」と「命題」の関係はとても微妙で、ヘーゲルの精神現象学の説明のように、「知」と「真理」は、或る瞬間、一体になり、また分離し、また一体になり。。。と言う繰り返しであることを想起すると、ラッセルの言い方は厄介な気がする。だから、「A氏は、Bだと信じている」というのは、Bという命題を信じていることで、Bと言う事実を信じていることではない、という言い方は、非常に注意が要る話に思える。結局「存在論」的な規定が、ややあいまいで、常識の線で流しているところがあるように思える。それが悪いとは言わないが、分かりにくくなる原因だろう。それから、ラッセルの言い分だと、論理学とは、推論の形式を整えることは出来て、推論形式の錯誤は指摘できても、「事実」との関係が物をいう「真理」については、触れることは出来ないことになる。論理学をどういじくりまわしても、「外部」の「事実」は科学の領域だからだ。批評や思考の批判には、明晰で良いが、これで主導的な思索ができるのだろうか。いろいろ想念が沸いて楽しい。
ある意味で、この頃がラッセルのピークかもしれない・・・ ★★★★★
「論理的原子論の哲学」という論文は、『プリンキピア・マティマティカ』2巻、「記述について」という論文でラッセルが現代哲学のトップランナーになっていた頃に発表されたものです。
この頃ラッセルは既にウィトゲンシュタインに会っており、当論文は『論考』のアイデアをラッセル流に取り込んだものです。ラッセルの戦略は基本的に2正面作戦です。『プリンキピア』等で数学を論理学に還元することにより、当時の科学的知見を取り込み、「記述について」等で論理学の命題の存在への関わりを説明することで、世界を説明するという、壮大な計画です。今から考えるとほとんど世界征服みたいな無謀な計画だったような気がします。
『論考』のアイデアが「記述について」に採用されて、「論理的原子論」ということになりますが、最終的な拠り所がセンス・データというのが、儚くていいですね。今読み直すと、ラッセルの楽観主義、ナイーブさが気になりますが、それがラッセルの魅力でもあります。
皮肉なことに、この後ウィトゲンシュタインの影響により、ラッセル流のアプローチは時代遅れになってしまいます。もっともその後、同じウィトゲンシュタインの影響を受けたウィーン学団経由でクワインにより、形を変えて復活することになります。何だかファッションの流行が形を少し変えて繰り返すのに似ています。