マオと青年の心理の歯車は精密に絡み合い、ティボーデが評するごとく、「各ページに、将棋のこまの動きとほとんど同じ男女の心の動きがあり、作者の確実で冷酷な操作に象牙と象牙のぶつかり合う乾いた音が感ぜられる」のである。まさにフランス心理小説の傑作といえる。
マイニ女史は、『この小説では、心理がロマネスク』だという言葉にしても、『舞踏会』よりも『肉体の悪魔』のほうがよりふさわしいと説き、『悪魔』では至るところに、ランボーのもつ良い面を思わせる恋愛の静寂主義が見受けられるのに、『舞踏会』の中には、もはやペシミスム以外のものは存在しないと説く。ようするに女史は、『舞踏会』はいかにもこしらえものであり、それよりはまだしも『肉体の悪魔』をとるというのである。
しかし『舞踏会』には『悪魔』には見られぬ緊密な心理解剖とその追求があり、やはりフランス心理小説の傑作の一つであることを否定することはできない。