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肉体の悪魔 (光文社古典新訳文庫)

価格: ¥500
カテゴリ: 文庫
ブランド: 光文社
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完成された小説!天才の筆に鳥肌がたつ! ★★★★★
90年前に書かれた小説とは到底信じることができない。現代小説で扱う愛の苦悩が完璧なまでに描かれている。しかも、ラディゲが17歳の時の作とは。もう、天才としかいいようがない。鳥肌がたってくる。

アメリカの恋愛小説は『心地よい』。学校指定図書にしても良いくらいだ。そこには、いつでもキリスト・ユダヤ教的道徳感が中央にある。フランス人であるラディゲの良いところは、道徳なんてくそ食らえ、倫理なんてどうでもいい、ありのままの人間性を丹念に描いているところがとにかく素晴らしい。15歳の少年が軍人の人妻に恋し、子供までつくってしまうなんて、まるでソープ・オペラのような筋立てだが、これがとてつもない文学小説に仕上がっているところがラディゲの小説の凄いところだ。

ラディゲ自身も、14歳で24歳のアリスに恋に落ち、学校を退学となり、16歳でコクトーの朋友となり、ピカソ・モディアイニーのアトリエで寝泊りするようになるなんて、そんな高校生、信じられますか?20歳の若さでの夭折が何とも悔やまれる。日本のつまらない作家の本を読む前に是非とも読んで欲しい。こんな天才どこにもいない。
見事な心理描写 ★★★★★
前から読みたいと思っていながら、なかなか読む機会に恵まれませんでした、新訳が出たというので、この機にと読んでみました。

物語の内容自体は、15歳の少年が19歳の人妻を愛し、子供まで作ってしまうということで、現代ではどこにでもありそうな話ではあります。
ただ、この作者ラディゲは初めてなのですが、この少年の心理描写に唸らされました。具体的な動きを描写しなくても、主人公の心理描写だけで、その光景を彷彿とさせてしまう力量は凄いの一言です。
しかも、その心理描写たるや、当時であればそう感じただろうなと、一つ一つ納得の出来るものでした。
第一次世界大戦という異常時を舞台にしており、そこでは、人々の狂気がピークに達し正常な論理が崩れる時です。しかも、主人公が刹那的な考え方を持っていても、全く違和感のない時代環境です。
そう考えると、主人公は登場すべくして登場したとも言えます。
マルトの死によるラストも見事で、主人公の反応も結果としては納得できるものです。

流石に、古典の名作として残るだけの作品でした。
20歳。夭折した作家のデビュー作 ★★★★☆
「僕はさまざまな非難を受けることになるだろう。でも、どうすればいい?戦争の始まる何か月か前に十二歳だったことが、僕の落ち度だとでもいうのだろうか?」この冒頭の部分を読むだけでラディゲがただ者ではないことがわかる。

舞台は第1次世界大戦中のパリ近郊。15歳の少年が、婚約者のいる19歳の女性、マルトに出会い、恋に落ち、妊娠させ、その人生をむちゃくちゃにするという話である。あらすじはスキャンダラスだが、珍しいものではない。重要なのは、ときおりユーモアすら交えられた、主人公の冷めた独白である。恋愛に溺れ、また周囲からの非難や冷たい視線にさらされながら、主人公の思考、観察眼は冴えに冴え渡る。

『肉体の悪魔』は今でこそ古典扱いだが、1923年当時は20歳の新星(しかもこの歳で命を落とす)が書いた恋愛心理小説だったのである。若いのにこんなに老成しているなんて!と驚きながら、まるで恋愛や人生のベテランのようなラディゲの文章を味わうと良い。
若くなければ書けない傑作 ★★★★★
20歳で早逝したラディゲが、16〜18歳の頃に書いた自伝的作品。
本書の主人公と同様にラディゲ自身も年上の人妻と関係があり、
ほぼ実話かと思いながら読んだのだが、実際にはこの主人公ほど
人妻との恋愛に溺れてはいなかった様である。
本来恋愛とはエゴイスティックなものだと思うのだが、
この主人公は若さゆえかエゴ剥き出しのまま、ひたすら恋愛に没頭していく。
その一方で、そんな自分を冷静に批判する視点も持ち合わせている。
あの若さで本書を書いた才能には驚嘆するが、若くなければ書けない傑作だとも思う。
透徹したニヒリズムと純粋さ。 ★★★★☆
訳文は、平易で格調高く、作品自体には経年の劣化を感じさせるところはいささかもない。解説にも描かれているように、作品は若者と人妻のひと時の恋愛を描いたに過ぎないものである。しかし、一人称で透徹したニヒリズムをもって社会、人妻との関係を眺める主人公の視点に、逆説的に作者の若さとゆえの虚勢と純粋さとが感じられ、読後すがすがしささえ感じられる。また、戦争が始まり人々の暮らしに様々な影を与えている、その不安な時代を背景にし、ガラスが割れれば、猫はその隙に付け入ってチーズをいただくだろう、たとえ、自分の飼い主がガラスを割り、指を切って苦しんでいたとしてもというイントロから始まる本作品は、間接的に戦争の悲劇とやるせなさを歌い上げており、深い心理小説にもなっている。最後の一節、またところどころに挿入される警句は、夭折した作家の社会に対する深い洞察を感じさせられる。