ムスリム詩人の厭世観
★★★★☆
ルバイヤートは薄い本だ。
そう、方丈記とかわらない位の四行詩。オマル・ハオヤームがなぜこの詩集を書いたのか?その動機は、読んだ当初から分からなかった。
その生まれも育成歴も定かではない。ただ、多くの学問を修めたらしい、彼が生きた当時はイスラムの隆盛の時代でもある。ローマが滅びた後、ギリシア文明の継承者は、イスラムであったからイスラム文化がギリシアの高度な哲学文明を継承した事は間違いない。
ハイヤームは、そのギリシア語の原典も読めたであろうが、ペルシャ語に翻訳された、アルキメデスの力学やユークリッドの幾何学、ピュタゴラスの数論、デモクリトスの原子論やエラトステネスの天文学を消化吸収していた事は十分あり得ることであろう。事実、代数学はイスラムで形作られ発展した分野である。ハイヤームも代数学の専門家であったらしい、二次方程式の一般解はすでにバビロニアで導出されていたとも言われる。
アルコールやアルジェブラ(代数学)も、アラビア語である。その他にも天文学・占星術・医学・化学・歴史・イスラム教学、その他の学問を修めたという、当時のペルシャの大知識人でもあった。多くの学問を修めたが、不思議と狂信的な宗教家という面は無い。
おそらく、理性的な中庸の哲学者という言い方が似合う人であったのであろう。
その彼が、厭世観を歌うのだ、住んでいた社会は、教条的で窮屈であったか?、「とかくこの世は住みにくい」という訳だ。「もうあの人の言うことは、忘れたまえ、もうあの人は、土の中に入ったよ」「酒を飲みたまえ、この世界で、出会えるのは、奇跡的なことなのだ」
純な詩人の英知が光る、「この世界を知ることは諦め給え!、ほら、命の炎は、いつかは消える定めなのだよ」、この本に触れたのは、16歳の高2の夏だ、もう遠い遠いむかしの事だが、40年以上の歳月が過ぎても、読んだ時の心持を、今でも思い出すことが出来る。この四行詩の厭世観は不思議な力を持っている。
千年前の詩人と道連れに
★★★★★
さあ、一緒にあすの日の悲しみを忘れよう、
ただ一瞬のこの人生をとらえよう。
あしたこの古びた修道院を出て行ったら、
七千年前の旅人と道伴れになろう。(本文より)
よくもまあ、こんな人が1000年も前にいたものだと感嘆する。
ハイヤームは、中世イスラムのど真ん中にいながら、「死んだら土に帰る。先に待つものは無だ」と喝破し、「だから今を楽しめ」と歌っている。
「死を思え、今を生きろ」の思想が気持ちいいほどシンプルに示されている。
私もいつか、千年前の詩人と道連れになりたいものである。
ペルシアのレオナルド・ダビンチ
★★★☆☆
11世紀のペルシアの詩。
作者のハイヤームは、その時代を代表する学者。数学、天文学、医学、歴史学、哲学を極めたと言われている。「ペルシアのレオナルド・ダビンチ」という人もいる。
酒を愛した高貴な学者。単純な言葉で、人生を詩っている。学問、哲学を極めた人がだから、こんなするどい詩が作れるだろうか。
人の一生は、長くても百年、それに比べて宇宙の年齢は100億年。人の人生は、天の瞬き、一瞬である。終わったら、何も残らない。宇宙の屑となる。続きはない。だから、人生を楽しもう。楽しく行こう。
忘れられぬ一冊
★★★★☆
楽しいお酒も、憂さ晴らしの酒も、つきあいの酒も、艶かしい酒も、おきよめの酒も、深酒して気分が悪くなったこともない頃に読んだ。
だから、酒に託されたことの、何ほどのことがわかったかといえば、わかったふりばかりで、わからぬことばかりだったように思う。
刹那的に酒と恋の楽しみを謳いながらも、いささか皮肉げなのは、楽しみが奪い去られ踏みにじられる苦しみを承知しているからだ。
ひたすら酔っ払いだけれども、ただ苦しみから目をそむけるのではなく、苦しみを見据えながら楽しみを掬い上げるような、大人の態度を感じた気がする。
今にして読めば、以前とはまた違う、こもごもの思いが去来することだろう。永遠の喪失をいくつか経験し、それでも日常が続くことを知った今であれば。
ハイヤームは天才である。
★★★★★
あらゆる分野の学問で多大な業績を残したハイヤームは、
しかし、このように痛快な詩情の持ち主であった。
この詩集を要約すると、
「酒、酒、酒。飲まずに死ねるか」である。
イスラームの戒律なんのそのの、自由奔放な魂がある。
また、現世で戒律を守って天国で快楽を得るよりも、現世の喜びを重んじたことは、
彼が目の前の現実をどう生きるかを重視していたことの表れであろう。
読むと心が晴れやかになる。