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幽霊船 他1篇 (岩波文庫 赤 308-5)

価格: ¥714
カテゴリ: 文庫
ブランド: 岩波書店
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バートルビー ★★★★☆
この物語は、
語り部である主人公の経営する事務所で働く学士(書記)バートルビーに対しての述懐になっています。
事務所には、はじめ「七面鳥(50代後半?)」「編ん手(25歳くらい)」「くるみしょうが(12歳くらい)」
という渾名をつけられた個性的な三人の学士が勤めており、
そこへあるとき物静かな青年バートルビーが四人目の学士としてやってくる。
学士として働きはじめた彼はやがて、人(主人公)からの誠意も敵意(というよりは注意)も、
『ぼく、そうしない方がいいのですが、』で跳ね返し始める。
しかしそのことに対して、語り部にも読者にも、彼の私感はまったく見つけることができない。

この不可思議におおいに葛藤する語り部がなかなか面白く、
その彼を取り巻く部下の物言いや行動がまた面白かったりする。
主人公たちにとって人間的とは到底思われないバートルビーは、
やがて「人間」に取って破滅的な終わり方をする。

そして、
物語の終わりに添えられた”死に文”の件、「人間的でないバートルビー」の顛末は、
憶測しか呼びませんが私個人は魂の浄化を受けました。
真に人間たればこそ、バートルビーはバートルビーであったのではということに、
私たちの口にするユマニテっていうのは一体なんなのだろうと考えさせられました。

いかなるものに人間バートルビーの魂は傷ついたのか、
ここにすごくグッとくるかと思います。
ぼくは果たして人間として生きていたかなあ。
スペクタクルの中で心が擦り切れ、麻痺して、仕事を仕事と割り切って、
「物」にこそユマニテを感じる事ができなくなったら、
人間おしまいよ、といわれたような気がしました。
けれど、この社会で「人間」として生きるという事は、つまりは...
人間であることを厳守するためには、え、バートルビーの辿った末路がまっているってことなのだろうか。
うーむ。
『ぼく、人間が人間として生きる社会で生きたいと切に切に思うのですが、』ですね。
バートルビーという実在の幽霊 ★★★★★
メルヴィルは『白鯨』を代表とする難解な「神学的海洋」小説家としての偉大な名が大きすぎるが、岩波文庫の1冊の、しかも表題の裏に潜んだ形の短編『バートルビー』の恐るべき先見性、人間存在の深淵を覗くような真のリアリズムには、心底驚かされる。
この作品は、カフカを超えている。
アガンベンなどは、決して事務所を去らず、「出来れば、しないほうがよいのですが」を繰り返す代書屋バートルビー氏に「潜勢力」なるものを見る。これは、政治的な権力に対する異議申し立てであるとされる。これに対して、辺見庸は最新著作『たんば色の覚書』のなかで、バートルビーの「しないほうがよい」という在り方を、そうした旧・新左翼的反抗ではなく、より根源的な拒絶の意思表示として捉えている。辺見は、こう言うとき、旧来の異議申し立てにスターリニズムや、集団が形成する暴力との同根性を見ているのであろう。そこには市場への参画としてしか存在しえず、集団ヒステリーと同断の消費人間である我々の存在自体を問う契機が潜んでいる。さらに、辺見は、バートルビーに「第三の暴力」という位置づけを与え、これは「非暴力的暴力である」とも付言しているのだ。
辺見の見立ての方が、遥かに可能性があると感じる。つまり、蜂起ではなく、放棄である。どこかスキゾ・キッズの冒険とやらを思い出させるが・・・・・。
本書は表題作ではなく、2つ目の『バートルビー』のいわばB面を表に付け替えて(カバーを刷り直して)再発売すべし。
メルヴィルは『白鯨』のみにあらず ★★★★☆
この一冊に含まれる二つの中編は、大学の教養で学びました。双方共に、一般的には『白鯨』で有名なハーマン・メルヴィルの傑作です。

奴隷制度における良心の問題を提起した、この本では『幽霊船』と日本語に訳されている“Benito Cereno”という作品も凄く面白いのですが、私としては、それ以上に、キリスト教における常識の中にある偽善性を暴いていく『代書人バートルビー』という作品がさらに好きです。

「せずにすめばありがたいのですが…。(Iwould not prefer to…)」で、総てを拒絶してしまう書記バートルビー。上司の指示も、会社から帰ることも、そして終には……。

『白鯨』と違って、文字通り作品自体が短いし、哲学的薀蓄も少ないので読み易いです。ただ、中身は相当に深いですけれども。この作品は、グローヴァルなコミュニケーションが日常化したこの現代にこそ、人々に読まれ、考えられるべき問題提起が為されており、或る意味現在の情報化による偽善化の問題を先取りした現代への啓示とも受け取れます。個人的にバートルビーは、逆説的に偽善や欺瞞を全的に配した聖人だと思います。最後に一言、「ああ、バートルビー!!ああ、ヒューマニティー!!」

何はともあれ、やはりこの二編は面白いです。ぜひ一読あれ。
後半が・・・ ★★★☆☆
前半(というより、謎が解き明かされる前)までは正直つまらなく感じました。

ちょっと不思議な黒人奴隷とその船長
う~ん何が面白いんだろう・・・

しかし、最後の大どんでん返しが待っていたのです。
一瞬でも「つまらない」なんて思ってしまったことを後悔しました。

難解・・・! ★★★☆☆
サン・ドミニーク号の漂流、ドン・ベニート・セレーノと黒人従者バボーの関係の真相が明らかでない前半部は、遅々として物語が進まず、「果たして、この物語は何処をどう飛んで、何処に着地するのか」という点が全く読めません。サン・ドミーク号の悲劇が、救援者であるキャプテン・デラーノの目に明らかとなった後半部は、物語に活気が生まれますが、そこに辿り付くまでが非情に退屈です。

メルヴィルの目的は、実際の事件の真相が明らかにすることではなく、ドン・ベニート・セレーノ、キャプテン・デラーノ、バボーの三者に全世界を象徴させることにあると思います。彼らは、万華鏡を覗いたように、角度をかえて見るたびに全く別の様相を呈します。しかし、物語のからくりの大体は理解できても、メルヴィルが多用する隠喩、揶揄が私にとっては難解で、おそらく著者の意図の半分も理解できなかったのではないかと思いました。