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八月の光 (新潮文庫)

価格: ¥882
カテゴリ: 文庫
ブランド: 新潮社
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様々な対立軸と因果律を用いて、人間の根源的な生命力を謳った秀作 ★★★★★
アメリカ南部の架空の町ジェファスンを舞台に、そこに集まる人々の姿を通して、善悪等の様々な対立項を軸に大地に根差した人間模様を綴ったもの。「八月の光」は酷暑が和らいだ日暮れ時の穏やかな光を指している。善悪を照らす光の意味もあるだろう。一応の主人公は、身重のまま町に相手の男を尋ねて来たリーナと、当の男ブラウンの悪党仲間ジョー。ジョーのラスト・ネームが"クリスマス"と言うのは暗示的。冒頭でリーナが他人の思惑が眼中に無い様子が強調される。「相手を見もしないで話し続ける」、「相手の言葉を聞いていない」と再三形容される。危ういが、ヒロインらしい一途な想いが出ている。

本作では、各章は時系列ではなく、作者の意図順に配列されている。地元のバイロンが働く製板小屋の話は三年前に遡り、そこにジョーとブラウンが現われ、酒の密売を行なう(禁酒法時代)。ジョーが、北部人で黒人の理解者のオールド・ミス、バーデンと関係を持つ話。唯一の教会の牧師だったハイタワーが浮気癖の妻のせいで数十年前に失職した話。彼は白眼視されながら黒人蔑視と闘っており、ある意味で本作の象徴的存在。黒人の血が混じったジョーの孤児院時代の話。信仰と背徳、黒人と白人、善人と悪人、北部と南部、対立項のオンパレードである。そして、養家に引き取られた後のジョーの凄絶な人生。養父を殺してから、「九月の冷たい狂った月光」を浴びながら彷徨い、バーデンに出逢って煉獄の炎に焼かれる。ここで、冒頭のバイロンの章と繋がる。この"はめ絵"的構成が物語に立体感を与えている。陰鬱な因果譚だが、終盤、登場人物に潔さと逞しさを覚えた。人間が根源的に持つ生命力。全体的に日付・時刻・距離の描写の多さも印象的。

アメリカ南部を舞台にした小説では常にテーマとなる人種差別と南北問題。それを巧みな構成と人物配置で緻密かつ骨太に描いた力作。リーナが「希望の光」なのだろう。
衝撃的なモダニズムの芸術品 ★★★★★
十九世紀に文学という芸術は完成されたといわれ、それを受けた二十世紀の作家たちは、それぞれに新しい時代の新しい文学を生み出そうと奮闘しました。こういった二十世紀の新たな文学の流れのことをモダニズムと呼ばれ、ジョイスやプルースト、そしてフォークナーなどがその代表的な作家です。

作品全体に渡り、複数のエピソードを一見不規則ながらに併置する技法(Collage技法)を取り、リーナ、クリスマス、バイロン、ブラウン、ハイタワー、ジョアンナなどの、それぞれの登場人物の濃密なる過去に踏み入ってゆき、気付けば最終的にそれら一見不規則に思えたそれぞれのエピソードが、互いに交錯し合い、かなり絶妙なバランスで成り立っていることに驚かされます。そうすることで、序盤では不可解に思われた謎が徐々に解けてゆき、同時に作品の内容としてはどんどん殺伐としてカオスな世界に突入してゆきます。その他、「思考の流れ」を太字で示すなど、まさにモダニズム的なアトラクションに満ちた作品です。

私見では、主人公はリーナでもクリスマスでもなく、主な登場人物みんなであると思います。それぞれの個としての宇宙が互いに交錯し合い、この『八月の光』という独立小宇宙を形成しており、登場人物の誰が欠けても作品の成立は不可能でしょう。しかしながら、その中でもやはり最も闇が濃く、印象に深いのは、クリスマスです。「自分が白人か黒人か一生分からない」という、アメリカ人にとっては決定的な、アイデンティティーが滅却された状態こそが、彼をあのような状態に陥らせてしまったのでしょうが、中盤から後半にかけての彼の悲惨な描写こそ、読者は注意して読み解くべきです。そのクリスマスの印象があまりにディープであるのと逆に、元気溌剌としている冒頭部と最終部のリーナの描写には、陰鬱なる闇を大きく優しく抱擁する燦々たる太陽のような、凄くハッピーな救いを感じました。メルヴィルの『白鯨』や、フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』でもそうでしたが、このリーナの大きな距離の移動ということに、アメリカという国のスケールの大きさ、如いてはアメリカ文学たる所以を感じました。また、一見すると素朴な善人であるかに映るバイロンの、打算を含んだエゴイズムがハイタワーによって見破られ、表現されているところなどにも、フォークナーの表現者としての鋭さを感じました。時折見られるアメリカン・ジョークのような表現も居心地がよく、「ああ、結局、僕はアメリカ文学が好きなんだな」と、本書を読んで確信しました。

フォークナーは「Lost Generation」の作家であり、一応この作品ではハイタワーが元牧師という設定ではありますが、やはり作品を通して、キリスト教による救いという描写は殆ど見られず、頽廃した世界観が描かれていました。これはそのまま当時の、戦争の衝撃によって、神による救いを求められない、精神的に荒廃した時代性ゆえでしょう。いずれにせよ、かなりの衝撃作に出会えて何よりです。日本人作家でも影響を受けている人が、かなりいるように思えます。フォークナーと同時代の作家では、日本ではヘミングウェイやフィッツジェラルドの方が俄然有名ですが、力量としてはフォークナーは恐らく彼ら二人以上のポテンシャルを秘めているのでは、と感じました。ドストエフスキー的な魔的な吸引力がある作家です。

余談ですが、私はこの作品を、青春18切符で日本海や瀬戸内海を廻りながら、五日間で半分(300ページ)ほど読み進めました。その後何日間かで読了しましたが、「私、もうアラバマまで来たんだわ」というリーナの言葉で始まり終わるこの作品の暗示の通り、惹き込まれるプロットで、「僕はもう最後まで読んできたのか」と思うほどに、通常読書スピードが遅い自分でも、一気呵成に作品を読むことが出来ました。それと、旅しながらの読書は、文字通り、八月の光と田舎の風景に、作品の情景がシンクロして、非常に良かったです。八月にこそ、読まれるべき作品のような気がします。
名! ★★★★★
名著者。名作。名装丁。
そして村上春樹著「ノルウェイの森」での名紹介(かな?!)。
ノルウェイの森を何年かぶりに読み返していくつかの名作品が登場してくるので購入しました。
かつて大学生のころろはノルウィイの森を読んでも他の登場作品に関心が行かなかったのにいまこうして読むのはナゼだろうか?と自分が不思議になります。
この八月の光の32版を持っていますが、その装丁写真が素晴らしいのも気に入りました。
分厚い部類に入る本書ですが、サンクチュアリと同時に購入してサンクチュアリから読みました。
それでフォークナー的なリズムをつかめて良かったと思います。
分厚くても内容が濃いので夜中も寝ずに読め、結果的には他の本よりも早くに完読出来ました。
アメリカ南部の難しい街・ミシシッピーのことは映画にもよく題材にされていて違和感はなかったです。
もし時間がある方なら快読して文句ない作品です。


米南部の光が突き刺す「複数性」 ★★★★★
大前提として,主人公はほとんどのページを割く男性ではなく,初めに登場する女性であることを確かめたい。その上で,女性の単数性と男性の複数性とが層となり,この小説は展開される。

物語全体を覆う複数性は,時間,空間,人物(性別,年齢,心理,職業など)の基本に,差別‐被差別や貧富が加わる。これらを一手に引き受けている男性は,作中で徹底的にその複数性を歪めていく。生い立ちから結末に至るまで,ひたすらに歪める。その歪みを,米南部という舞台が大きな役割を担い支える。

その歪んだ複数性を,純粋な単数性(≠単純)が包み込む。そのため,主人公はあくまでこの女性なのだ。彼女の時間軸,空間の動き,関わりのある人物は,彼女にとっては一様である。対して男性のそれらは,歪みを持つがゆえ一様たりえない。歪んだ複数性とは,自己分裂とも表現できよう。

「圧巻」とは,まさにこの作品のためにあると言っても過言ではない。米南部の『八月の光』は,その男にとっては烈火のごとく,彼を焼き尽くす。その尋常でない光の下では同時に,永遠に変わることのない人がいる。また反対に,その光に耐えられず社会とのずれを持つ人がいる。その光の注がれる町を,主人公の女性が訪れやがて去っていく。

読み始めたら長さを感じさせない名作 ★★★★☆
昔から作品の存在は知りながらも、文庫版で600ページを超える長さと、「人間の疎外と孤立を扱った象徴的な作品」などと紹介される(文庫裏表紙)敷居の高さに尻込みしていた小説だったのだが、長さを感じさせない展開で面白く読み終えた。犯罪者となるジョーの話だけだとやりきれなさばかりが残るのだが、並行して語られるお腹の子の父親を探しにきたリーナの明るさにさわやかな読後感が得られる。なぞめいた登場人物たちの持つ過去が徐々に明らかになっていく語り口も飽きさせない。星が4つなのは、回想と現実が入り組んでいてややわかりにくいため。