難しかった…
★★★★☆
暴力的なシーンを書き直しただけに、表現が抽象的で
理解に困難を感じました。
事件に巻き込まれたテンプル。強い女性ですが、現実には
ここまで強くなれる女性はいないかもしれません。
また黒人の差別問題は、日本人にはおそらく理解深野でしょう。
それだけ根深く、まだまだ消えてなくならない深刻な話です。
これを読んでみてもそのことがどれだけ人間にダメージを与え、
人格をゆがめてしまうものなのかよくわかります。
いかにして村上春樹ができあがったか
★★★★★
いかにして村上春樹ができあがったかを探求しているわけではないが、
ウィリアム・フォークナーの『サンクチュアリ』(加島祥造訳・新潮文庫)を読んだ。
この前友人と話をしているときに、たまたまフォークナーとボウルズの話になり、
私はそのいずれも読んでいなかったので、これを機会に読んでみようと思ったわけだ。
『ノルウェイの森』で主人公のワタナベが読む『八月の光』か短編集でもよかったのに
『サンクチュアリ』を選んだのは、ときどき読書の参考にさせてもらっている「松岡正剛 千夜千冊」 で
フォークナーのこの本を取り上げていたからだ。
(ちなみに「千夜千冊」ではひとりの作家につき一作しか扱わない方針をとっている。)
このアメリカ文学を代表するひとりフォークナーの作品を過去読んだことがなかった。
それにしてもすごい話である。もうどうしようなく陰々滅々たる内容で主人公の弁護士ホレス・ベンホウ
くらいしかまともな人間が登場しないと言ってもいいくらいだ。ほんと救いようがない。
話の舞台は1920年代のアメリカ・ミシシッピー。その田舎の森の中にある廃屋になってしまった屋敷に
密造酒をつくり生活している一味がいる。
こう書いただけで、このアメリカ南部の物語が独特の風土と因習を持つ陰湿なところの話であることがわかる。
そこに生育する植物や鳥、または風景描写そして人物描写に関しては執拗に鋭い描写で迫るフォークナーの筆致。
しかしストーリーに関してはけっして丁寧な書き方をしてはいない。まあ、さほど複雑な話ではないので、
私たちはそのようなフォークナー独自のどこか乾いているようでねっとりとした精密な筆致を楽しんでいけば
よいわけなのだが…
ともかく物語の出だしがすばらしい。森の泉で水を飲んでいたホレス・ベンホウは、
そこに近づいてきた不気味な男ポパイと出会う。ホレスが言う。
「どうやら君のポケットのピストルがあるようだね」「こっちこそききたいぜ。そのポケットには何があるんだい?」
とポパイは逆に問う。「本だよ」「どんな本だ?」「ただ普通の本さ。誰でも読むような普通の本さ。誰でも本を読む
とはかぎらんけれどね」「おめえは本を読むくちなんだな」とポパイは言った。
その後、二人はポパイの屋敷でほんの一時を過ごす。その後に展開される陰惨な物語を予見するようなぞくぞくする
描写が続くオープニングである。
物語のあらすじをあとがきをもとに抜き出そう。
性的不能者のギャング(ポパイ)は17歳の女子学生(テンプル)をトウモロコシの穂軸で強姦し、
仲間の素朴な人間(トミー)を野良犬のように射殺し、テンプルをメンフィスの売春宿に隠し、
彼女を別の青年(レッド)と同衾させてその光景を見つつ興奮し、やがてレッドも撃ち殺してしまう。
(その間にテンプルはアルコール漬け状態である。)最後にポパイは自分の犯さぬ別の殺人容疑から死刑になるが、
死刑の夜も、ともに祈ろうという牧師のすすめを無視して、ベッドに寝ころび煙草をふかしている。
また、トミー殺害とテンプル強姦の容疑をかぶった酒密売人(グッドウィン)は「町」の偏狭な道徳観、
検事の策謀やテンプルの偽証によって有罪となり、さらに町の男たちによって夜中に留置場から引きだされ、
私刑(リンチ)にあう。ー ガソリン缶を負わされ、生きたまま焼き殺されてしまう。
とまあ、どうしようもないこんな話なのだが、この小説にはじつはもうひとつのストーリーがある。
それは弁護士ホレスが保護するグッドウィンの小さな赤ん坊を抱える無垢な妻の物語だ。
この部分が私はとてもいいと思った。この小説の唯一の救いでもある気がする。この小説は、凶悪なギャングたちの
アメリカ南部の陰湿な物語であると同時に無垢な魂を持つ女の物語の側面をもっている。
ただし、フォークナーはドストエフスキーのようにその魂の深淵まで誘っていきはしない。
ただ投げ出すのみである。
これを読み終え、多くの日本の小説家がフォークナーから強い影響を受けていることを思った。
それは大江健三郎であり中上健次であり、最近では『シンセミア』という傑作を書いた阿部和重である。
多分好き嫌いの別れる作品
★★★★☆
フォークナーを読むのは初めてなのだが、
正直言って読み辛かった。(それでもどうにか読了)
本書は禁酒法時代の米国南部の保守的な面と退廃的な面を見事に描写していると評価したいが、
読者によって多分好き嫌いのはっきり別れる作品だと思う。
(私はあまり好きではない)
著者が「想像しうる最も恐ろしい物語」と語っているそうだが、
70年以上経った今日ではこれより恐ろしい小説は
いくらでも転がっていると思う。
何かフォークナーの作品を読んでみたいと思う人は、
他の作品を選んでも良いかもしれない。
買いです。
★★★★☆
初期の代表作のひとつに数えられる「サンクチュアリ」です。一般にフォークナーについて誰もが抱く暴力や暴力性というものが充溢した作品であり、作者自身の言葉としてある「注目を集めたかった」という野心に執着するあまり、詰め込んだものをうまくコントロールできていないように見受けられる箇所もまま見られます。逆にその、表現はよくないですが、雑然とした様が作品の生命力を高めているようにも取れ、つい「ポパイ」や「テンプル」といった登場人物の命名の仕方にもなんらかの意味を嗅ぎ取ろうと試みたりするのですが。もしかするといくら読み込んでも隅々までは整然と読みこなすことが本質的にできない類いの作品かもしれませんが、それが他の作品への誘いを促す力につながっているように思えました。翻訳自体はずいぶん前に為されたものですが、最近流行りの改訳の必要は本作においてはいささかもないような気がします。
……
★★★★☆
もちろんとっても読みにくい小説でした。暴力的なイメージ、というのが私がフォークナーに対して抱いていた印象です。たしかに陰惨な事件が起こるには起こるのですが、私には前半部のほうがおもしろかったように思います。
前半の、テンプルが囚われている状況は、ほかのどんなホラー映画なんかよりもおそろしいと思いました。この小説には、あんまり善人がいません。ガウァンの行動にも唖然とするばかり、さらにポパイとテンプル。翻訳がいいのか、フォークナーがすごいのか、私はこのときのテンプルの言動に吐き気がするほどに嫌悪感をいだきました。ポパイではなく、テンプルにです。
この小説を読んでいると、胸のあたりにものすごいむかつきを覚えるのです。私はあんまりすばやく読みすすめることができませんでした。その不快感はいったい何に由来するのか、嘘や欺瞞を正義をごった煮にしたようなこの小説のなかのいったい何に由来するのか、私にはよくわからないのです。
それにしても読みにくかったです。