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赤と黒 (上) (光文社古典新訳文庫 Aス 1-1)

価格: ¥800
カテゴリ: 文庫
ブランド: 光文社
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現代にも共通する、普遍の真理 ★★★★☆
スタンダールは「パルムの僧院」を読みかけた事があったものの、文体に慣れなくて読めなかった。

その経験も手伝って、海外古典文学にはなかなか手出しができなかったものの、公開中の映画を見るため、小説を読んでみる事にした。

前回の教訓から、読めなかったら意味がないので、読みやすいと評判の光文社古典新約文庫をあえて選んだ。

実際、とても読みやすかったので、下巻は1日ほどで読み終えてしまった。

物語の冒頭は、人物や土地、人間関係の説明に多くを費やし、読み進まない。

しかし、物語に躍動感が出てきた後は、やめられないおもしろさがある。

古典文学、という意識があったので、もっと退屈なのかと思ったのは大間違いだった。

180年近く前に書かれた、現代とは全く異なる時代、そしてフランスが舞台なので、国や風習、価値観が全く異なるにもかかわらず、

仕事や金銭、恋愛に関する野心や悩みにこんなにも共感できるとは思っても見なかったからだ。

読み継がれ、現代にも残っている作品にはやはり、現代の私たちをも引きつける魅力があるからこそ生き続けている事を改めて実感した。

大変面白かったので、他の訳者による「赤と黒」と読み比べたい。
それでもなお、読みたい飜訳 ★★★★★
この飜訳は、刊行直後にスタンダール研究者を名乗るある大学教師から、誤訳が多分に含まれているとして厳しく批判されたものである。その書評を読み、なおかつ原文と読み比べて検討した結果、やはりこれは価値のある飜訳だと思ったのでレビューを書かせて貰うことにした。実際、指摘されている箇所に関しては翻訳者のケアレスミスもあろうし、むしろ評者の言いがかりに近い、取るに足らないものもある。ミスは今後、版を重ねる上で訂正されていけばいいだろう。しかし問題は、こうした書評が出た途端に、実際には原文と読み比べることもしない(あるいは出来ない)多くの読者やレビュアーたちが、「これは間違いの多い飜訳だ」などと知った顔で囃し立ててしまうところにある。なぜか日本の読書界では、誤訳の指摘は受けが良い。飜訳大国ならではという肯定的な見方も出来なくはないけれど、私はやはり、こうした風潮に危機感を覚えざるを得ない。元来、スタンダール研究者の訳読と、現代の一般的なフランス語話者ないしフランス語の読める読者の読み方は、必然的に異なるはずだ。私見では、この作品の仏語原文は疾走するようなスピード感が魅力の一つであるが、過去のスタンダール研究者による飜訳では、残念ながらそれは損なわれてしまっている。それは、一語一語時間をかけて意味を確定していく専門の作家研究者の宿命でもあると、私は思う。この野崎訳では、これまでの飜訳で表現されていなかったスピード感が充分に味わえる。その意味で稀有な飜訳だと思うし、これだけ思い切りの良いスタンスをとることが許されるのは、幾多の飜訳を手がけてきた野崎だからこそとも思う。なお、スタンダール研究者による飜訳に興味を持たれる向きには、少し古いけれども小林正の立派な仕事があることを付け加えておく。
臨場感のある情景描写を評価すべき ★★★★☆
誤訳の多さから「誤訳博覧会」と酷評する人もいますが、瑣末な誤訳よりも、現代にも通じる形でスタンダールの作品をよみがえらせることができた点を評価すべきだと思います。スタンダールの醍醐味は、硬質ながらもスピード感のある文体です。スタンダールの情景描写は、本来ならば臨場感を伴って読まれるべきなのです。今回の野崎氏の訳では、映画評論家として活躍されていることもあり、特に情景描写の部分が現代的な言葉で訳されています。そうした訳が軽いという評価もあると思いますが、今どき旧訳のように「熱い接吻」などと言われてもピンと来ません。
古典は幾度も読み返しのきく文体であるべきです ★☆☆☆☆
小生の大学時代にはスタンダールの「赤と黒」を、ガリマール版でとぼとぼ読んでは、岩波文庫の桑原訳の耽美さに感動しながら、自分の訳し方を逐語添削していったものです。それほどヒマなことをしては全編読み終えました。ここにその当時のノートがあります。
いま、新訳を右において、原書と照らし合わせてとぼとぼ読んでは、野崎訳の訳文のひどさに嘆息を漏らすしかありません。
読み易ければ良し、とする出版社の方針は必ずしも古典の復興にはつながりません。古典は幾度も読み返しのきく文体であるべきです。文法的な誤りや文意の取り違えは、すでに古典の翻訳ではないでしょう。
数百カ所の誤訳がある「誤訳博覧会」だそうです。 ★☆☆☆☆
日本スタンダール研究会の会報に掲載された下川茂氏の書評によると、大小合わせて数百カ所の様々な誤訳がある「誤訳博覧会」のような翻訳だそうです。もちろん、なかには誤訳とまで言えるかどうか微妙なところもあるでしょうし、翻訳者にはある程度大胆な意訳をする自由もあるでしょう。しかし、ネット上でも入手可能な下川氏の書評を読んでみると、たしかにこの誤訳はそのレベル以下のものがあまりに多いようです。下川氏の指摘に対して光文社の編集部は、そんなのは些細な問題だ、とか、文句があるなら自分で新訳を出せ、と開き直ったそうです。どこが些細な問題なのでしょうか。

私は最初この翻訳を読んだときに、読みやすい翻訳ではあるものの、ところどころなんか変だなという違和感を感じたのですが、多数の誤訳がその原因だったようで、納得いきました。はっきりいって、これは翻訳としては欠陥商品で、金返せといいたいくらいです。

しかし、「誤訳博物館」として貴重な資料となりますし、原書と比べ合わせて読んで、どんな誤訳をしてしまうのかを調べると、フランス語や翻訳の格好の教材となります。そのような資料、もしくは教材として利用するならば、十分な価値がありますので、ぜひ絶版や改版せずに、そのままの形で出版を続けてほしいと思います。