独特の翻訳調
★☆☆☆☆
著名なホイジンガーの「中世の秋」であり、出版社も中央公論ということもあって購入し、読んでみた。
(1)独特の文章である。
例えば、第149頁第11行目〜14行目には「中流階級ないし下層民の人間関係にあっては、とテーヌは、その著『現代フランスの起源』にいう、その発動バネは利害であり、貴族社会においては、自負心の原動力である、人間内奥のもろもろの感情のうち、この自負にまさって、誠実、愛国心、良心に転化するにふさわしいものはない。」
第180頁第7行目〜10行目には「恋の詩を、トーナメント記述をよむさいに、歴史事象のこまかな知識、にぎやかな事件を並べあげた叙述が、いったいなんの訳にたとう。なにかをみつめていた当時の人びとの、翔ぶかもめのかたちよろしく吊りあげられた眉毛の下の、押しあげられてせばまったひたいの下の、明暗さまざまな目の輝きを、想像のうちによみがえらせようとしないならば。」
第195頁後ろから4行目〜後ろから3行目「金羊毛騎士団の宗教的性格を証言しているのは、もったいぶったボローニャことシャトランの、敬虔の心情あふれる見ぶるいだけではない。」(句読点もひらがなもそのまま引用)
(2)上記引用例にも見られるが、常用漢字を使うところになぜか平仮名が多用されている。同じ180頁内にも「かならず」「おおぜい」「こらした」「ふんだん」「ひびき」「きかれない」「きわめて」「ふたたび」「よむ」「うずたかく」「わたしたち」などがある。こうした平仮名表現は「じしん」「かの女」「かれ」「ものたち」など全文にわたって異常なほど無数にあるのだが 184頁の「いぜん」などは「依然」なのか「以前」なのか全体を読み終わらないとわかりにくい。また、205頁に「きじの誓い」という言葉が出てくるが、次の「くじゃくの誓い」があって始めて「雉の誓い」のことだとわかる。
(3)人名の訳が必要なのだろうか。文中「シャルル突進候」「ジャン無怖候」「フィリップ善良候」など多くの人名が機械的に訳されている。鈴木という名前を仮に英訳するとして、Bell Wood とはせず Suzuki とするのが常識だろうが、これと違う話なのだろうか。
(4)「翻訳について」の中で、訳者は「原文中括弧内の挿入語句は本文に組み込んで訳した。ホイジンガは引用あるいは引用したテキストは脚注で明らかにすることが多いが、わたしは「とシャトランはいっている」とか、「パリの一市民によれば」とか、本文に示すのを原則とした」と述べる。
「翻訳とはそもそも何か」また「翻訳者の任務は何か」を考える材料提供をしている一冊と思われる。
中世観再考
★★★★★
誰が言い始めたのかわからないが(おそらくマルクス?)「中世は停滞した、暗い時代だ」というイメージが定着している。そしてわれわれの持つこの時代のヨーロッパのイメージは、異端裁判やガリレオの迫害に代表される、スコラ神学が一世を風靡し教会によって世界が支配されていたという構図である。もちろん、それは一面正しかったのかもしれないが、王侯貴族も庶民もそうやって縛られて生きていただけではあるまい。それは現在に残るさまざまな絵画や文学作品からも推定することができる。そしてそれを古文書からの掘り起こしというかたちで、実証的に呈示したのがこのホイジンガの代表作「中世の秋」である。
本書はれっきとした歴史書ではあるが、反面読者を飽きさせない鮮やかな例示に優れている。読んでいて中世のひとびとの日常の生き様が眼前に展開される観がある。舞台は全ヨーロッパではなく、ホイジンガの暮らしたフランドル(オランダ・ベルギー)地方と、関連の深かったフランスが主な舞台である。この地域に普段われわれはなじみがないと思われるが、音楽や絵画で有名なように、当時ヨーロッパの先進地帯のひとつであり、絢爛たる文化がそこに展開されていたことが伺える。
有難とう.中公クラシックス.中世の秋
★★★★☆
待ちにまったホイジンガの名著のナンデイ版.どういう次第か読みかけの中央公論の(世界の名著)のなかで,中世の秋のみが,行方不明の侭になっていたのである. 友達に貸したのかどうかも解らず永年気がかりであった.堀越孝一氏の解説も,平易で親しみが持てる.年齢を重ねるにつけて,奥深い洞察にみちたホイジンガの思索の集大成に益々魅せられている.