ネタの尽きたカポーティの祈り
★★★☆☆
内容は週刊誌ネタと言われても仕方ないと思います。週刊誌を蔑視している訳ではなく、これならば「プレイボーイ」で毎月読めるんじゃないかな、と言う事で、文学者としてはネタが尽きた末の選択だったと思えて仕方有りません。
文体や所々の一文や構成の仕方には、小説家としてのこだわりがあるように受け取れはしましたが、本人も途中で嫌になって投げ出してしまったような印象も強く、貴方が書きたかったのはこれだったんですか?と、寂しさを感じます。
日本が固執してきた私小説と言う分野であれば、磨きをかけた文体もあって然るべき印象も残りますが、この軽妙な言い回しでは、やっぱり「プレイボーイ」で充分に御目にかかれていますよね、と感じました。
とても好きな作家です。
彼の叶えられなかった祈りに、胸を打たれます。
「きれいはきたない、きたないはきれい」
★★★★☆
最近このシェークスピア『マクベス』の有名な科白をよく目にします。フィリップ・シーモア・ホフマンが完璧に演じて話題となったカポーティ未完の遺作である本書訳者あとがきにも、この科白がありました。
「マクベス」においてこの科白は魔女の価値観が人間のそれとは合致しないということを明示するものでしたが、本書においてのそれは、きらびやかな上流階級の住人(通称セレブ)たちの価値観(特に性癖)がどれだけ低俗でアブノーマルなものかを明示するものです。
この物語は未完のまま終わっているので、カポーティが本来はどのような構成を採るつもりだったのか分かりません。第1章「まだ汚れていない怪獣」と第2章「ケイト・マクロード」は、P.B.ジョーンズという主人公が、ニューヨークで自身の半生を綴った小説「叶えられた祈り」を執筆している現在と、その小説の中身(つまり過去)が並行して描かれています。その小説内における回想が自由に時間軸や場所を行き来し、登場人物も多いことから、読むのに結構骨を折りました。しかも、その時間軸の移動によって生じた空白を埋めたいとする読者の祈りは「叶えられぬまま」。
セレブのゴシップ話に終始する第3章「ラ・コート・バスク」はつまらないとしても、この「トカゲの血のように冷たい」主人公の遍歴や、彼を取り巻く取り込む変態世界が滅法面白いわけです。私の貧しい読書歴を漁ると、太宰の『人間失格』 のような退廃を味わえるといった感じでしょうか。
なのでことさら美化して描かれているケイト・マクロードの顛末がもっと欲しかった気がします。残念。
汚れた怪獣カポーティの叶えられた祈り
★★★★☆
村上春樹訳「ティファニーで朝食を」でカポーティに魅かれ、古本屋で見つけたMusic for Cameron(原書)の序文と短編の影響で最後の小説(本書)を手にしました。
カポーティ自身を映す30代の作家志望兼男娼のP・Bジョーンズと彼に関わる欧米エスタブリッシュメント達のゴシップで話が展開します。下卑た男娼話の連続に正直げんなりしましたが、ジョーンズか魅かれたバツ一で独富豪と再婚したケイト・マクロードとの出会いを頼りに読み終えました。
名誉・仕事・お金・性、あらゆる欲の権化「汚れた怪獣」たるエスタブリッシュメント達のゴシップ集の本書は、「冷血」で名誉を得た後、自らも汚れた怪獣と化したカポーティ自身と彼らを巻き込んだ破滅へのプレリュードだと感じました。本書登場人物の一人は掲載後に自殺したそうですが、作家カポーティに興味がある方には、彼をより深く知る上で一読の価値があると思います。
結局、この「叶えられた祈り」が未完のまま1984年にカポーティは世を去りましたが、1章「まだ汚れていない怪獣」の初めに引用された8歳の少女の作文が全てを物語っています。
「もし何でもできるなら私は、私たちの惑星、地球の中心に出かけていって、ウラニウムやルビーや金を探したいです。まだ汚れていない怪獣を探したいです。それから田舎に引越したいです。」
名声を享受した汚れた怪獣カポーティは華やかな表舞台からゴシップを発表し干される(消える)ことで、少女の言う「田舎に引越する」という祈りを叶えました。叶えられなかった祈りよりも多くの涙を必要とする叶えられた祈りを。
買いですが・・・。
★★★★☆
買いですが、書かれた前後の作者を取り巻く状況にばかり光を当てられることが多い作品なので、もう何度目かの再読なのですが、読み返すたびになにか寂しさというか、やるせなさというか、必ずしも作品そのものからだけ受け取るのとは違った感想を抱いてしまいます。もしカポーティが生きながらえてこの作品を完成させることができたにしても、生前に大言壮語していたような、文学の流れを変える作品にはなりえなかったでしょうが、それでもまたいくつかはデビューした頃を彷彿とさせる作品を残せたたのではないか、そんな由無いことをこの作品を読むたびに考えてしまうのです。
挫折した「白鳥の歌」
★★★★★
前作『冷血』で一躍大成功をおさめて時代の寵児となったカポーティがそれ以上の成功を
求めて次に目論んだのは(フィッツジェラルドなどをのぞけば)アメリカ文学にそれまで殆ど
存在しなかった「社交界スキャンダル小説」だった。だが、ラファイエット夫人からカポーティの
尊敬するプルーストを経てコレットに至るまで社交界小説の伝統のあるフランスと違い、
アメリカ社交界は「道化」カポーティを追放し、小説は未完のままカポーティは短い生涯を
閉じることとなる。ある意味では『冷血』さえ上回る悲痛な事情を背景としているにも関わらず
本作は繁栄を極めた50年代アメリカの退廃しながらも豪奢な世界がこの上なく洗練された文体で
余すところなく描写されており、川本三郎の訳文もカポーティの文章特有の「躍動感」を
日本語で表現しているという点においてきわめて秀逸。文学に人生訓や倫理を超えた完結した
世界を求め続けたカポーティの遺作にふさわしい好著である。