歴史を探る面白さ
★★★★☆
雄大な時の流れの中から浮かび上がってくる2000年前の古代エルサレムの姿。この驚くべき発見に至るまでの道程が歴史研究の醍醐味であり最大の魅力だ。古代エルサレムを含む地中海世界は現代とのつながりが深く、いろんなところに馴染みのある言葉が登場し、その起源が示されていくので最後まで飽くことなく読み続けることができた。
初期のイエス・キリスト像を考える
★★★★☆
文章は平明。イエスの名前を刻んだ家族墓が工事中に偶然発見された。ディスカバリーチャネルのテレビ番組作成のために、この家族墓が実際にイエスの骨を納めたイエスの家族の墓であるのか、その真実性を、統計、科学的手法とミステリータッチで、順を追って解明していく。
イスラエルの人びとの官権への恐れ、ユダヤ教徒の発掘に対する態度、政治や慣習による発掘への制限や反対の事情がよくわかり、今日のイスラエル社会をかいま見る。
この本による限り、1980年に イエスとその妻マリア(マリアムネと呼ばれたマグダラ出身のマリア)、イエスの息子ユダ、ヨセフの息子ヤコブ/イエスの弟 ほか、表面に銘のある6つの骨棺と銘のない4つの骨棺、合計10の骨棺が 発見された。その骨棺は今も、エルサレムの IAA の倉庫に保管されている。カタログ番号はIAA800/500‾509 までの発掘資料で「ヨセフの息子イエス」と書かれた骨棺は503。
信じがたいような内容ではあるが、近年、続々と聖書外典が発見され、また西洋史においてキリスト教の異端が3世紀頃からつぎつぎ告発されてきたことを思うと、ここに真実の考古学的端緒があるかもしれない。イエスは自分の姿が歪められていることを嘆き、その正しい教えを知ってもらいたいと思っていることだろう。
この本に引用されている 初期ユダヤ人キリスト教徒の研究をしてきた 神父の言を紹介しておく。「これだけの証拠を永遠に無視し続けることはできません。これらの人びとは本当にいたし、その考古学的証拠を残しています。キリスト教は神学者の頭の中で無から生まれたものではないのです。」
エキサイティングな内容でした
★★★★★
古代史好きの私には非常に面白く読めました。
全体構成が散漫で、誰がしゃべっているのかわからない変な語り口になっていたりはしますが、調査の過程を時系列になぞって行く形ですので筆者の驚きや興奮がダイレクトに伝わって来ます。
これまで世界の古代遺産を見て回っている中で、キリスト教建築物にはずっと違和感を感じていました。聖ペテロなどの使徒の遺骸はあちこちに安置されていて高貴な存在として信仰の対象になっているのですが、イエス・キリスト本人の存在感がどうにも希薄です。彫像としてまつられてはいますが教えを請う師としての人間くささが存在していません。何でもっとイエス・キリスト本人の姿を知ろうとしないのが不思議でなりませんでした。
この本で一番驚いたのは、ユダヤ教徒もキリスト教徒もイエス本人の遺骸が出て来ることを望んでいないという指摘でした。
ユダヤ教徒にとってキリスト教はローマ人の異教に過ぎずキリスト本人は興味の対象外であり、ユダヤ人キリスト者の存在は歴史から抹消したい汚点です。キリスト教徒にとってはキリスト復活の逸話があるため遺骸が出てくる事は好ましくありませんし、キリストが両親,奥さん,息子と一緒に墓に入っていたなどという庶民的な落ちは神に等しい存在にとって平凡過ぎます。
今回はたまたまTV局に売り込める企画になるということで、お金をかけた調査ができてやっとキリスト一家の墓らしいという所まで突き止められた訳ですが、それが無かったら黙殺されたまま墓は潰され、何もわからないまま闇に葬り去られていた所でした。権威がある組織が調べた結果では無いから信じられないという意見を言う方も居ますが、上記の様な背景があるため権威のある組織が取り組んだ結果が信頼に足るものになるとは到底思えません。人間というものは信じたいものしか信じない生き物ですので、信憑性については読者一人一人が判断するしかありません。
期待はずれ
★★☆☆☆
本としては完成度が低すぎる。「誰が」文章を書いているのかはっきりしないといった、テキストの主体性の問題もありますが、一番気にかかるのは、学究的信頼性。それは、数多の考古学者が「無視している」という、彼らの主張の異端性にあるのではなく(筆者らは、そこに「酔っている」フシもあります)、彼らがよりどころとする「統計的根拠」。あの程度の分析では素人の域を出ておらず、化学分析も全くお粗末なもの。
もともとディスカバリー・チャンネルの考古学ドキュメンタリーとしての企画調査ですから、限界もあろうかと思う。実際の放映を観たならば、印象は感想はかなり違ったかもしれないが。
ネタとして、飲んだときの話題にはでるが、真面目に信じるには、胡散臭さを全く拭いきれず。結局は関係者の熱意とは裏腹な、時間つぶしのエンタテにしかなっていないのが残念。少しでも可能性があるのならば、別なスタッフによるもう少し真摯なフォローを期待したいところ。
世紀の発見か?単なる徒労か? どちらにしても世間の興味は薄い…
★★★☆☆
近年の「ユダの福音書」の発見やそれ以前の「トマス」や「マリア」の福音書。
ダビンチ・コードで言われるマリアの存在…。
そして、キリストの棺の発見…。
映画「ターミネータ」や「タイタニック」で巨万の富を得たジェームズ・キャメロン監督が近年は映画製作をしていないな〜と思ったら、イエスの墓を探していたのか…。
本書は真面目に書かれているので、単に話題性だけのトンでも話ではないのは分かる。
しかし、イエスの棺が発見されたかも?しれないのにこの世間の興味のなさは何だろうか?
実際、何が発見されようが証明されようが、キリスト教社会は揺らぐことは全くない。
真実の発見によって「世界は震撼!?」と思っているのは一部の人たちだけで、カトリック信者などは白けた気持ちだろう。
昔、有名なカトリック教会の牧師様へ「聖書で祭り上げられていないマリアがなぜ信仰の対象になっているのか??」と尋ねたことがある。
「各地の古い信仰には大地を母とする信仰が根付いていた。それを排除するのは難しいのでマリアを母神とすることで、妥協したんだよ…。」だって。
イエスが結婚していようが、子供がいようが…教会は興味がないのではないだろうか?
信仰とは論議ではなく、実行なのだから…。
尚、イエスが生まれた当時、イエスという名前は昔の日本の太郎のように非常に一般的だった。マリアも一般的な名前なので…両名の名前の墓があったからといって「キリストの棺」と断定するには不可欠でもある…。
キャメロンさんには探求など止めて映画界へ戻って欲しいものだ。