ジャック・メリデュー
★★★★★
20年ほど前に、卒論にこれを選ぶか、「指輪物語」を選ぶか、
結局後者を選んだのですが、そのくらい毎日読んでいるという
状態に近い小説です。
中でも、主人公ラーフに対立するジャック・メリデューがいい。
ラーフは、最後に「失われた無垢」と表現されている通りに、
冒頭では如何に無垢な「ただの子供」であるかが描かれているのに、
ジャックは最初っから明らかにそうではない少年として
描かれています。
この作品とヴェルヌの「十五少年漂流記」をよく比較されますが、
あちらも確かにブリアンとドニファンがやたら対立したり、
無人島に到着したり、とシチュエーションは多々似ていますが、
あちらはモノが多すぎます、あれなら誰でもまともに暮らせます。
(さらに、湖が凍っているのにも関わらず熊2頭に襲われかける、
とか、ちょっと「それはどうなの?」という展開もあるので、
ある意味ファンタジックな物語で、最後はきっと「めでたしめでたし」で
終わるんだろうな、という予感は最初っから漂っておりますが)
ここでは、文明の利器と呼べるものは、ナイフとそして、
ピギーのメガネだけです。
ブリアン達とは違い、それだけしか、ありません。
そして、実際、良家のお坊ちゃんたちと言えども、たかが12歳くらいの
少年たち、実際に大人がいない無人島に集められたらどうなるか。
「十五少年」のような規律正しい生活(さらに銃の扱いにも
やたら慣れてる)は送れない、と思います。
その意味で、「本当は子供って残酷なんだぜ」という事実を
ラーフとジャックの対立で見事に描いていると思うのですが。
そして、どっちにつくか、ふらふらと揺れる子供達。
大人でいようと最後まで努力し続けたピギー。
誰よりも大人であったかもしれないサイモン。
最後の最後で、ジャックが一歩踏み出しつつも何も言えなかった、
それが全てだと思います。
他の作品と比較するのは、野暮じゃないのかな、と思える話です。
ちなみに、映画にもなりましたが見てはいけません。
間違っても、間違っても見てはいけませんとそれだけは言っておきます。
90分間、ひたっすらブーイングの嵐ですので…(しかも座ってられない)。
ジャックが、ラーフに今一つ劣等感を感じてたのは、
ルックスのせいもあったんじゃないかな、と密かに思っています。
ヴェルヌを読んで、改めて読み進めてみると、ここに出て来る少年達が
いかに現実的か、ということが、よく判ります。
お勧めはしませんが、好きでたまらない小説の一つであることに間違いはありません。
読み進めるのが苦痛な本でした
★☆☆☆☆
日本語訳が悪い。んでしょうか?
私にはそう思えませんでした。
論理性のない子供の心理・行動描写(それすらも不十分)のせいだと思いますが、私は感情移入ができませんでした。
「こういう設定や状況なら」という状況の理解でおしまいです。
まったく予備知識なしで、がんばって最後まで読み上げて、ラストにもかなり驚き、がっかりしてしまいました。
筆者がこれを書き上げた時代とそれ以後の文学にどんな影響を与えたか?
という壮大な話は知りませんし、ひとまず置いておくと、
1つの読み物としての完成度は低く、自分が引き込まれてるな〜と思えることもほぼありませんでした。
これを原作として、ボリュームを倍、もっと文章力のある人が書き直し、なんてことがあればいいのかな。とは感じました。
いい大人になって読んだ小説で、こんなに苦痛だったのは始めてかもしれません。
居心地の悪い、浮遊感。
★★★★☆
なんとなく15少年漂流記とかそういったイメージだけが先行して、
ちゃんと読む機会がなかった。好きなサイトで紹介されていたので
105円で購入できたのをキッカケに、目を通す。
翻訳が古くさい・・昭和50年発行じゃ、しかたないのかな? 隠忍自重とか揺曳するとか・・
でも、程なく慣れて、どんどん世界に引き込まれた。
島の様子が淡々と描かれるのだが、これがまず、美しい。
島に不時着した少年たちの個々の背景はあまり語られず、
内面も深くは描かれることはなく、団体として、あるいは
その行動として数名が描かれるだけなのになぜか、
際立った個性としてぐいぐいと迫ってくる。
ありえない状況ではなく、見えないなにかにおびえ、
大人だったらどうするんだろうと、そこにないなにか絶対的な指針を求めて
もがく少年たちの姿は、妙に正しく子供っぽくていじましく、残酷で胸に迫る。
大人であったらもっと毒々しいだろう集団心理。
ペインティングによってなにか自分ではない別のモノに変貌していく集団。
ほら貝というアイコンに化体される権威とその失墜。
興奮という熱がなく、また不思議なくらい子供を描くという気負いのない筆の運びが逆に、
凄味を感じさせる。
読み終わって、不思議な位の喪失感と、自分が大人であることをどう確認したらいいのか
わからない、変な居心地の悪さ。コドモだからどう、とか、オトナであればこう、とか、
その区分を見失った自分の気持ちの悪い浮遊感。
子供だったときにこの本を読んでいたら自分にどう影響していたんだろうと、少し思った。
『十五少年漂流記』よりは現実的
★★★☆☆
『さよなら絶望先生』というマンガで、『十五少年漂流記』と対比された感じで言及されていたので、いつか読んでみたいと思っていた。
『十五少年漂流記』よりはずっと現実的な感じがする。実際にこういうシチュエーションだと、こんな感じになるだろうな、と。
それは良いのですが、いかんせん読みにくいですね。同じセリフ(「ぼくがほら貝をもっているんだ」)が何度も何度も出てくる。無駄な情景描写が多い。おそらく翻訳が下手。
ピギーが聡明な少年として描かれているが、実際には、本当に頭のいい子なら、こうもしつこく自己主張や他罰行動を繰り返さないだろう。どの子もどの子も自己主張が激しすぎて、みんな同じ感じ。むかし某保育園児らと接したとき、子供たちのあまりもの躾のなさ、こらえ性のなさ、我儘加減に、あきれ返った覚えがある。この本に出てくる子供たちは、全員そんな感じだ。どうしようもない、人間以前の糞ガキどもだと思う。おそらく親が馬鹿なんだろう。
この作品は、多くの出版社に断られたあげく、やっと、T・S・エリオットが最高責任者をつとめるナントカ社から出版されたとか。断る気持ちも多少は分かる。
人間の歴史の縮図
★★★★★
子供というのは昔から純粋さの象徴と見られることが多いですが、この小説では人間が今まで歴史の中で繰り返してきたことを純粋な形で表現していると思います。それはたとえば、原始的な共同体形成に通じるような大人数で協力して生存環境を形成していこうという動きや、民主主義思想に通じるような合議によって何かを決めようとする意志、宗教に通じるような未知のものに対する恐怖、そしてもっと本能的な権力欲や暴力志向、ナショナリズムにつながるような排他性など多くの事項が挙げられるとおもいます。
はたして人類は未来永劫このパターンを踏襲してゆくのだろうか?そんなことを考えさせられる一冊でした。