a story of family
★★★★☆
This is a story of a family: a woman, her two husbands, their daughters, her father-in-law in Nagasaki, Japan and England. Having grown up to live a married life in Japan, a woman lives alone in England. She spent Japan's post-war days in very poor but honorable way. It is an old fashioned way of life in Japan; people were all social and so was she. She maintained friendly relations with all neighbors, friends and her relatives. She spoke to even a stranger like her friends. She called her husband's father “Ogata-San", which showed her respect for him. It's also humbleness of Japanese women in the past. Their conversation evokes me an Ozu Yasujiro's film, “ Tokyo Story”.
This is also a story of women; Etsuko, Sachiko, Mariko, Keiko, and Niki. all of them are eccentric in various aspects : Etsuko's neighbor Sachiko is eager to leave devastated post-war Japan to start over in America; Mariko, Sachiko's daughter is sullen, always holding cat as if it was a security blanket. Keiko, one of Etsuko's daughter committed suicide. Tediousness in words exchanged between Etsuko and Niki, her another daughter expresses their disagreement with each other. Only Etsuko behaves normally among the others. Kazuo Ishiguro set her in a story as a subsidiary character essential for the development of the plot, I think. She spoke to the others and knew their living. Sometimes she felt compassion for them and sometime she persuaded them to have second thought, but in vain. Whether in Japan in the past or nowadays in England, she has no man to evoke a sympathetic response from. She is always lonely. It casts a tinge of somberness on this story.
7回読みました
★★★★★
イシグロの最新作「わたしを離さないで」に感動し、彼の長編をさかのぼって読んでゆき、たどり着いたのが、処女作「遠い山なみの光」でした。翻訳ものとは思えない読みやすさ。魅力的な登場人物たちは、私の心に入り込んで、その続編を想像させずにはおかない。何より驚いたのは、20代の男性が女心をここまで書けるのかということ。会話の言葉遣いに関しては、違和感を持ったことがここのレビューに書かれてありましたが、別のサイトにも同様のことがあり、主人公の娘景子と同世代の私にとっては、逆にそれは思いがけないことでした。「昭和は遠くなりにけり」なのかもしれません。何はともあれ、日本では埋もれているこの作品を、多くの人に読んでもらいたいし、出来たら映画化して欲しいと思います。
イシグロの長編第一作
★★★★☆
日系英国人作家、カズオ・イシグロの長編第一作である。
イシグロ本人も認めているが、本作と
『浮世の画家』『日の名残り』は同じトーンで貫かれている。
イシグロは本作の舞台を長崎に設定しているが
作中の長崎は、氏が五歳のときに出国して以来
一度も帰っていない記憶の中の場所だという。
そのためか作者の記憶も、作中人物の記憶も
夏の陽炎のようにゆらゆらと頼りない。
私たちにとり、自分をこの世界に繋ぎとめているものが、
ある時間を生きてきたという記憶なのだとしたら
イシグロの作品は押し並べてこの拠って立つ
堅牢な土台に鋭いメスを入れているようなものだ。
エキゾチックな雰囲気を醸し出すことによって
注目を集めた部分は否めないが、
それだけにとどまる作家ではないことを
この後の作品でイシグロは証明することになる。
すれ違いではないのかもしれない
★★★★★
語り手の女性を取り巻く一一あるいは取り巻いていた一一様々な人の姿を冷静な観察で細部から浮き彫りにしつつ物語は進行しますが、それぞれの言葉や態度、そうした表層から推察できるそれぞれの思惑や人生観が悲惨なほどすれ違っているのがおもしろい反面、それはじつはすれ違いではないのかもしれない、という何か無感覚に近い光明(?)をわたしにもたらしました。何より思うのは、これはある国や人びとの過去の姿ではなく、これと同種のことが今もそこら中で日常的に起きているということ、そしてそうした人たちをかろうじて繋いでいるのは、あるいは戦争が代表する死や恐怖の共同体験でしかないのかもしれない、ということでした。その読み易さ以上に深くて重い、わたしにとっては手ごわい作品。