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江戸のダイナミズム―古代と近代の架け橋

価格: ¥2,900
カテゴリ: 単行本
ブランド: 文藝春秋
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日本の中世時代はどこに? ★☆☆☆☆
 著者は「古代と近代の架け橋」と書く時、つまり古代天皇制と近代天皇制とを結びつけたいのだろう。やはり、相変わらず、右翼論者は復古派なわけである。
 そもそも、江戸時代の前に中世つまり封建時代があり、中世時代があったからこそ近世が可能になったというのが、本当の歴史家たちの間で定説なのである。江戸時代が「暗くない」ということによって中世をより暗くしてしまうというこのスタンスは到底理解できない。
時空を超越した縦横無尽の記述が魅力 ★★★★★
本書の初出は雑誌『諸君!』である。当時、この連載が読みたくて『諸君!』の継続的読者になってしまった。(余談ではあるが、現在、同誌に連載中の長谷部日出雄氏「作家が読む『古事記』」はとても面白い。)
単行本となった本書を読み直してみたわけであるが、それでも縦横無尽の記述と奥行きの深さから簡単には理解・評価しがたい面もあるが、知識欲を極めて強く刺激する本である。本格的に理解するためには座右の書として少しずつ勉強していくしかないと思っている。そこで今の時点で気のついた点を記してレビューに代えたい。

1.江戸時代に対する見方。日本の近代的精神というものが、江戸時代に西欧とは独立に誕
生したという事実の発見。
2.古典研究のもとになる中国の経書、ホメロスの『イリアス』、『オデュッセイア』など
のテキストの不安定さ。現代人は確定したテキストのように扱っているが。
3.「言語は音である」ことへの理解。当然のことながら古代中国も無文字社会であったに
違いない。文字として漢字しかない中国の音の表記の不便さ。
4.『古事記』は音だけの世界から誕生した。万葉仮名に始まる日本語表記法の素晴らしさ。
5.尭・舜・禹は中国神話世界の物語であった。孔子は「怪力乱神を語らず」と言ったこ
とになっているが。

江戸時代、そして古代に対する新鮮な驚きに満ちた好書である。『知』を愛する全ての人にお勧めしたい。
「やまとだましひ」はわが国固有の花 ★★★★☆
日本人には外来のものを尊び、自国の文物を軽んずる傾向がみられる。江戸時代までの日本の言論空間はシナ一辺倒の価値観で支配されており、国学者・本居宣長は「やまとだましひ」を守るために儒仏を排撃している。明治以後、崇拝の対象はシナから西洋に変わり、現代の日本人が拠りどころとしているのも西洋の学問である。このままでは今後の日本人は受け身の歴史を歩むだけで、「自己本位」の歴史を確立することはできないのではないか。
十七世紀から十九世紀にかけて、西ヨーロッパ・中国大陸・日本列島の三地点で、文明の始原に遡ろうとする「言語文化ルネサンス」が起きていた。ギリシア・ローマの伝統は西洋人を追放してその土地を支配したアラビア人の歴史に属しており、西ヨーロッパ地域に古代はない。中国では古代はあったものの、モンゴル人による元朝の成立と共に漢民族の歴史は断絶している。日本では古代文書の原文の消滅と文字体系の劇的変化により不確実な写本しか残されていなかった。本書は古代を求める三つの文化圏のドラマを丁寧にたどりながら、明治以後日本人が抱いてきた西洋中心史観を排し、新たな日本史像の確立に寄与する意欲作である。
外来のものを無防備に崇拝する儒者たちの無定見にいらだっていた宣長の主張は今も有効である。宣長は長年にわたる歌の道の研究により、漢心を排した清らかな古代の心に立ち返ろうとしていた。やまとごころとはシナの道では覆い切れず、捉え所がなく定義しがたいもので、言挙げせずとも存在している何かである。儒学万能の時代にこのようなものを守ろうとすれば「道なき道」を主張せざるを得ない。あえて禁を犯した宣長の葛藤は西洋万能の時代に生きる現代の日本人の問題でもある。「やまとだましひ」はか弱くもしたたかな「わが国固有の花」なのだ。
よい ★★★★☆
読み方が良く分からない国学者や儒学者が相当出て来ますが内容自体は江戸の文献学や西洋、中国と相対化した神話、言語など三日ほどで読めました。国民の歴史で神をGODと訳した間違いで更に書きたかったこともあるように思います。トインビーのアジア史観を廃してペルジャーエフを押すのも単純な国粋主義ではないこと。本居宣長については小林秀雄の著作も読破していましたが西尾氏の宣長観が一番しっくり来ました。