男に胆力が求められるとすればそれは…
★★★★☆
本書は、『悲望』以来小説作品も発表している比較文学者の小谷野淳
による中編小説集。「童貞放浪記」を皮切りに、「黒髪の匂う女」「ミゼラ
ブル・ハイスクール一九七八」が収録されている。
この中で一番目をひくのは表題作だろうと思われるが、実はそうではな
い。「もてない男」の困難とは、例えばつきあいたいと思っている女の自
分といるときの言動から、「こいつ俺に気がないな」と思い知り落ち込む
ことなどだが、そんなこと誰だって経験することで、いわば確率の問題
なのだ。その点、この作品集の中で最も強烈な読後感を残こすのはむし
ろ、恋愛成就のその後を描く「黒髪の匂う女」である。
大学院生の主人公「葉室」と先輩の院生「吉川さん」の恋愛事件を書い
たものだが、この作品では互いが「研究者」であることも多分に関係して
いく。論文の査読をなかなかしてもらえない主人公は業績がないことに
劣等感を抱いており、一方論文で脚光を浴びメディアで盛んに取り上げ
られる「吉川さん」には、羨望とともに嫉妬もつのらせていく。それは愛す
る人であっても、いや、愛する人であるからこその嫉妬なのだ。
ただここまでは、アカデミックの世界に属さなくても会社の同僚とつきあっ
ているという人にも共感できるかもしれない。だが小説後半では主人公
が「吉川さん」とはまた別の人と結ばれたことが明らかにされるのだが、
ここで相手への失望を決定的にした出来事など、なるほど自分より低い
学歴のパートナーを持った人だけが共感できる、大っぴらにはしづらいが、
どうしても抱いてしまう感情だ。
この作品が教えるのは、恋愛することの困難さというよりもむしろ、男が
パートナーから後腐れなくきれいさっぱり別れることの困難さである。どう
も女の多くは元彼には何の感情もないというが、男の多くは別れた相手
になんらかの感情を抱いていることがある。「あいつ今どうしてるかな」と
か、別にあんたに心配されなくても幸せですよって話なのにね!
駄本
★☆☆☆☆
これほどつまらない小説ははじめて読みました。
まるで小学生が背伸びして書いた小説のような印象を受けました。
他の方が詳細なレビューを書かれているので自分の意見は省きますがとにかく面白くないです。
映画化された原作らしいみたいですが、こういう作品でも映画化されるんですね。
まぁ題名「だけ」は面白いかもしれませんね。
ここのレビュー読んでから買えばよかったと後悔しております。(まぁ古本市で安く買ったからいいですけど。)
何だこれ?・・・・
★☆☆☆☆
これほどつまらない小説ははじめて読みました。
まるで小学生が背伸びして書いた小説のような印象を受けました。
他の方が詳細なレビューを書かれているので自分の意見は省きますがとにかく面白くないです。
映画化された原作らしいみたいですが、こういう作品でも映画化されるんですね。
まぁ題名「だけ」は面白いかもしれませんね。
ここのレビュー読んでから買えばよかったと後悔しております。(まぁ古本市で安く買ったからいいですけど。)
ひどすぎる
★☆☆☆☆
ここまでつまらない作品を読んだのは初めてかもしれません。
その作品を好きな方もいらっしゃるわけで、なかなかここまで言い切ることはないのですが、一言
「つまらない」
この作品はコレにつきます。
童貞文学愛好家を自認する私としては、タイトルを見た段階で脊髄反射で飛びついたわけですが、なぜここまでつまらないものが書けるのか、逆に不思議です。
面白みのない、一般的な小説であれば枕の部分に相当する部分を事細かに書き連ね、いつになったら話が展開するのか解らない。
いざ話が転がりだしても、全く登場人物の心の機微が読み取れず、感情移入もできない。
「ミゼラブル・ハイスクール1978」を20ページばかり読み進めたところで耐えかねて放り出しましたが、とにかく主人公の男が、同性から見ても身勝手すぎるし空気を読めなさすぎというか、端的に言わせて頂ければ気持ち悪い。
同じく童貞期を過ごし、お世辞にもモテたとは言い難い人生を歩んできた私をしても、全く持って共感できないし同情の念も起きない男たちばかりが描かれている。
私小説だから、と言ってしまえばそれまでなのかもしれませんが、私が童貞文学の最高傑作と個人的に考える「グミ・チョコレート・パイン」も、大槻ケンヂの私的小説ですし、主人公の男たちが院生であったり大学講師であったりだから、そのスノッブさが鼻につく故に感情移入ができないのかといえば、希代の童貞小説家、森見登美彦作品の主人公たちは京大の学生です。
要は、そういった要因ではなく、致命的にこの作品が、どうしようもなくつまらないのです。
今年表題作が映画化されたらしいですが、正直、映画化するならもっとマシな作品はいくらでもあるような気がします。
全くおすすめできません。
酷すぎる
★☆☆☆☆
三十路過ぎ童貞の私小説という題材自体は非常に興味深いのに、内容のあまりの酷さに驚愕した。
なぜこれほどの題材を、これほどつまらなく書くことができるのか。
高級食材をふんだんに使って生ゴミの山を作り出すようなものである。
純文学だから、私小説だから、物語の起伏などは特に重要ではなかろうが、それでも表現形式や文章ぐらいは工夫があっていいところ。
しかしこれにはなにもない。
文章はいわゆる国語教師が書くようなただの「マトモな」日本語の羅列であり、新しい視点も新しい表現も新しい試みも新しい文体もなにもない。
本来ならチラシの裏にでも書くべき日記のような駄文であり、作者がレトリックという言葉の意味すら理解できているか甚だ疑わしい。まさしく、無味乾燥の一語に尽きる。
どーでもいいような内容をどーでもいいような文章で書いていったいなにが面白いのか?
太宰ばりに自虐をきわめて笑いをとるとか、武者小路ばりに読み手のシンパシイを巧みに煽るとか、いくらでもやりようのある題材なのに、非常に勿体無い。
同作者の「もてない男」も読んだが、総じて眼の付け所はいいのに、とにかく内容が面白くない。
ユーモアもペーソスも深みも詩情も洞察も創意も情緒も発見も芸術性もなにもない。
要は、作者の自慰なのだ。他人を楽しませようだとか、他人とコミュニケイトを図ろうだとか、他人になにかを伝えようだとか、そういう意識が微塵も感じられない。
ひとりよがり、自己中心的で自己完結、つまり悪い意味で、童貞的。
もちろん童貞を題材にした小説なので童貞的であるのは大いに結構なのだが、そのくせ童貞の美点である純粋さやひたむきさは皆無なので始末が悪い。
かれの文章、かれという人格は、童貞の悪い部分だけで構成されている。だから、面白くない。
かれが三十路を過ぎて童貞だったのは「堅物だったから」とか「人付き合いが苦手だったから」とか「生真面目だったから」とかそれよりなにより
かれという人間が「面白くなかったから」ではないだろうか。