老子の教え
★★★★★
老子は、司馬遷の史記によれば、紀元前145年ごろ、現在の河南省鹿邑県に生まれたとあります。
名は耳、姓は李
道教の祖とされ、道教では太上老君と呼ばれる、もっとも崇拝される神として位置づけられています。
唐王朝の李氏が、老子の子孫と称した事から、その信仰はますます高まって、この時代は最高神の位置づけでした。
老子は「道の道い可きは、常に道で非ず。」から始まるように、現世の否定から始まります
しかし決して全てを否定するのではなく
道は全ての者に認められ、自然はあるがままを受け入れるべきとのその寛容と説き、実に奥深いものです。
中央文庫の老子は、老子全八十一篇の全てが収められ。各章ごとに口語訳・原文・現代語訳・注釈・内容解説の順に書かれています。
私が老子に興味を持ったのは、江戸時代の書に子供にはまず老子を教えよと書いていたからでした。
老子の教えは、今で言えば感性を磨くと書いていたのだと思いますが
なにぶんにも古いことなのでよく覚えていません。
いずれにしても、東洋哲学の根幹を成す、老子は読む価値は十分にあると思います
人生の本質を悟る書物
★★★★★
この本は注釈にもあるように、老子がすべて書いたものではない、5000字で簡潔に
人間が生きる中での物事に対する姿勢が書かれている。
よく天理という言葉を聞くが、生まれもっての人間の人生をまっとうすることは、たやすいものではなく、人生の途中で事故で死んだり、恋愛に失敗して自殺したり、事業で成功して有頂天になったり、いろいろな人生がある中で、与えられた生を精一杯生き抜くためには、ある意味での知恵がいる、かといって知恵を使いすぎても、前に進めない、赤ん坊が母親の乳を欲しがる時は、なきやまることはない、演技やうそは疲れて、人からも見破られる、本心で求める事は、いつか人の心を動かす、しかし勢いがありすぎても、行き過ぎがある、過ぎたるは及ばざる、熟慮して慎重に謙虚に事をなす必要があることを老子は教えてくれる。
筆者の訳書は無理がなく、中立でぜひ読んでもらいたい書物である
いい意味でカリスマ性がない
★★★★★
中国最古の神秘主義。神秘系の人たちは、良くも悪くも個性の強いカリスマ的な人が多いが、この《老子》の凄さは、そのカリスマ性のなさだと思う。善も悪も、光も闇も、《道》の前では一つに融けてしまう。その曖昧さが、最大の魅力である。現実的に言えば、《善悪》の問題はもっとシリアスなものだと思うが、こういう相対的な視点も必要なことは確かである。ある意味、シリアスになりすぎた時の、一種の解毒剤として有効である。
韻を踏んだ詩のような文章が美しい
★★★★★
日本的思想のルーツを知りたくて、中国の古典をわからないなりにも読んでいる。
老子は、孔子とほぼ同時代、いまから2500年ほど前の人といわれているが、
ほとんど記録がなく、実在を疑う研究者もいるくらい謎の人物である。
さて、本書はその老子の現代語訳である。
読み下し文、漢文、現代語訳、訳者注、という体裁で全81編が並ぶ。
とにかく短い。もともと漢文はこまごま説明をしないから、何を言っているのかよくわからないが、
それにしても短すぎてわからない。
にもかからず、どこか惹かれるものがある。
それも現代語訳ではなく、読み下し文に惹かれるのである。
たとえば、第18章。
大道廃れて仁義あり。慧智出でて大偽あり。
六親和せずして孝子あり、国家昏乱して忠臣あり。
訳)大いなる道が衰えたとき、仁愛と道義が起こった。
人のさかしらと知識が立ち現れたとき、大いなる偽りが始まった。
六つの近親が不和となったときに、孝行な息子が話題となり、
祖国が乱れ暗黒となってから、忠義な臣下ということが聞かれるようになった。
たとえば、第48章。
学を為すは日に益す。道を為すは日に損ず。
之を損じてまた損じ、以って為す無きに至る。
為す無くして而も無さざるはなし。
訳)学問をするときには、日ごとに学んだことが増してゆく。
道を行うときには、日ごとにすることを減らしていく。
減らした上にまた減らしていって、最後に何もしないことに行き着く。
この何もしないことによってこそ、すべてのことがなされるのだ。p112
訳をよんでもよくわからないし、大して面白くもないが、
読み下し文の調子は、妙に魅力的である。
老子の面白さはきっと、詩のような韻を踏んだ文章そのものにあるのかもしれない。
英訳本を参照した特色ある老子訳
★★★★☆
中国文学の碩学の一人小川環樹氏による老子の訳解書。もとは世界の名著『老子・荘子』に収録されていたものとほぼ同じで、解説を少し省略している。源氏物語の英訳者としても著名なアーサー・ウェイリー氏の英訳本を主に参照しており、老子には神秘主義的な要素もあるとして訳出している点に特色がある。やや意訳している箇所もあるが、おおむね分かりやすい訳文である。残念なのは索引がないことと、出版時期が古いため、馬王堆帛書や郭店楚墓の竹簡にはまったく触れられていないことである。なお中公クラシックス版は訳文は小川訳であるが、解説が高木氏のものになっているため、この中公文庫版をお勧めする。理由は、訳者のその著書に関する見解を知ることにより、訳出方法などの意味を知ることができること、他の研究者では気が付かない重要な指摘が含まれるからである。その例のひとつは文庫本解説の中には「天の道」という語が「道」を最上のものとする老子の中に取り込まれていることに対する疑問が提出されている。これは重要な疑問点で他の解説書にはない。この答えについては浅野裕一氏による黄老思想研究により古代天道観の継承者としての老子の位置付けが示唆されたことにより理解できる可能性がでてきた。
老子は最近のはやりの訳本(意訳本)の言うような、隠者や癒しのためだけの言では決してない。為政者のための箴言集としての性格、韻をふんだ格調性の高さなどの多様性を持っている。その81章の内容はまさに、道の道う可きは、常の道に非ず(小川訳による)であり、限定的に決めてしまうことができない、深さと広がりを持っているのである。福永光司氏の訳解書『老子』(朝日文庫、選書)は老子の思想について詳細な解説が施されており、比較して読むと老子理解のために得るところも多いと思う。