面白いと思ったのは,どうせ君主も有徳の聖人ではありえないし,民衆も義理堅い善人であるはずがないのだから,ボンクラがコスカライ人間を思い通りに動かすにはどうすべきなのか,という,まるっきりシラケきった開き直りを出発点として物を考えている点です。そのミもフタもない人間観は,奇妙にリアルでうがった説得力があります。中国の古典というと連想されがちな,納まりかえった訳知り顔の臭㡊??が本書にはなく,なんだか爽やかにさえ感じられました。
この第三冊で魅力的なのは,「難」篇と称される一連の論集です。そこでは,当時評判だったいろいろな故事とその解釈について,「いや,それはおかしい」と,韓非子の立場からツッコミを入れています。どちらの考え方をもっともだと思うのか,それは結局読み手の考え方次第ということになるのだとは思います。ただ少なくとも中国の故事について時折感じられる,「そんな捉え方ばかりではないと思うのだけれど」という不満を,韓非子が共有してくれているのを見ることで,「やっぱり納得いかないのは自分だけではないんだな」と安心することができると思います。そうすることで,そうした批判を経てなお永らえてきた故事についての解釈を謙虚に深めて!いこうという気にもなってきました。
四分冊とかなりの大部に感じられますが,白文,読み下し文,訳文と註解がついての分量です。実質的には半分以下のボリュームということになると思います。