上巻より文体や内容の多様性が大きい下巻
★★★★★
下巻の内容を辿っていくと、荀子の独自な思想といわれているらしい性悪論や天論を収録している。荀子の独自性を知りたい人は、下巻をチェックするのがいいのではないか。また、第十八巻からは文体ががらりと変わって歌語りの様式やなぞなぞの様式、「論語」の補遺的な内容や、中には「孟子」からのテクストが混入していたり、後世の手が入っていることをうかがわせる。
性悪説について考えてみると、その記述がほかの思想家との論争が目白押しになっている部分に挟み込まれていることが目を引く。孟子のほかにも、墨子や楊子、宋子、神農家、名家、法家、さまざまな論説に反論している中の一つとして性悪説があり、ほかの思想家への反論と比べてみるとその論述はどこか無理筋なように思える。本性が善であるか悪であるかというより、人を一定の環境のうちに放置したままではいずれダメになっていくということが議論の主眼であって、結局結論としての修養と実践へと向かう姿勢はそれほど異なっていないので、批判としては何か無理やりな展開になっているのではないか。
読み終えてみると、やはり上巻で読み取れた部分が強く印象に残った。合理性というより道義性の追求を期した思索が詰まった著作。