呪には、ふたつある。ひとつは、大和王権という武力勢力によつて侵略占領された日本列島先住民の怨念であり、ひとつは、韓半島での新羅制覇によつて百済・高句麗からの逃亡渡来人となった人たちの怨念である。かなが日本文化の独自性をあらわしてきたといわれ続き的たが、今回の対談で、白川は「かなは百済慣用句からうみだされたものだ。」と発言。あらためて、渡来人たちの日本文化形成への寄与を確認することとなつた。はたして、かなは哀しみか、それとも、呪の隠蔽か。
単行本になつて妙に編集者の登場の多いことが気になる。実際に三人で話したとしても、ふたりの対談としてしあげてい!!!くことが編集者の任務ではなかろうか。この編集者には中井英夫「黒衣の短歌史」の精読をおすすめする。
最後に、「プロレタリアートの開放」という誤植があり、対談で語られた高和巳も30年以上の歳月を噛みしめたのではなかろうかと、想いを重ねたしだいである。