戦前に書かれたとは思えない今日に通ずる良書
★★★★★
世界各地の特徴的気候風土がその地の人の気質に与える影響を考え、文明の発生や進化に及ぼす影響を独特の観点で解説している。戦前に書かれたとは思えない今日的視点に溢れ、読者を引きつける力は強い。特にギリシャ、ローマ文明の違いが鮮やかに気候の違いから論じられる観点に魅了される。ギリシャが各ポリスの競争社会であり、そこで切磋琢磨された商工業の技術を基礎に自然哲学を発達させたのに比べ、ローマ人は全てを征服統合してしまった故に競争社会が崩れ、自然哲学への興味を喪失させてしまったとの指摘は鋭い。工業製品の製作はギリシャでは自由人の創意工夫によった故に芸術や技術の大きな進展が見られ、数学も発達したが、ローマではそれらが奴隷の労役から生まれたという、簡明な構図が示される。ヨーロッパ中世の12世紀ルネサンスで、西欧人が改めてアラビア語に翻訳された古代ギリシャの文献を、アラビア人を通して入手せねばならなかった経緯が分かる。西欧人の労働に対する忌避意識がローマ由来のものであるとの指摘も、面白い。
今日ほどに地球上の人々が画一化された発想をしていない時代に書かれ、筆者の見聞や体験を豊富に取り込んだ書物は、今後執筆されることは無いであろう。しかし、いかにグローバルスタンダードが叫ばれても、世界各地の民族は先祖伝来の思考法を土台に発想し、発言するであろうから、より古い時代での見聞は、今日の世界各地の人々の、今日では話題にされない潜在意識を示すものであろうから、半世紀以上前に書かれたとはいえ、今日この本を読む価値が薄れることはないと思う。
時代に阿った、軽薄な作品
★★★☆☆
「人間存在の構造契機としての風土性」を明らかにするために書かれた由。だが、冒頭で「自然環境がいかに人間生活を規定するか」は問題ではない、と述べておきながら、結局は自然環境(風土)-->文化-->社会制度と言う風に論理展開されるので自己撞着している。また、書かれた時期が昭和初期、即ち日中戦争の最中である点にも注意すべきである。
風土の類型を、「モンスーン(インド〜東アジア)」、「砂漠(中東〜北アフリカ)」、「牧場(ヨーロッパ)」と分けるのは如何にも単純過ぎる。"受容・忍従"型で多様性を持つ筈のインドが現在、対パキスタン用に核開発に狂奔している姿を著者は何と説明するつもりか。同じく、「モンスーン」に属する中国が中世において、"合理的"なヨーロッパより遥かに技術的に進んでいた事実は何と説明するのか。著者が海外旅行をして、偶々得た知見(思い付き)を強引に哲学的思索の枠に嵌めようとするから無理が生じるのである。「人間はその土地の気候に合った様々な生活様式・文化を持っている」と書けば、それで終りの話である。それに、「南洋的人間が文化的発展を示さなかった」等と公の本で書いて許されるのだろうか ? 哲学の本場ヨーロッパを"貴"としてようだが、それで世界初の森林の大伐採を行なった西欧人の「風土」に関する価値判断が正当に出来るのだろうか ?
そして、中国の「無政府性」を強調する辺りから論旨は増々怪しくなる。更に日本の「家」制度の忠孝性とその家を統括する意味での尊皇を語っている点は、時代に阿っているとの批判は免れまい。「風土」に根ざした各地域の歴史の紹介も目新しいものは無く、そもそも「人間存在の構造契機としての風土性」を分析して、何の役に立つのか不明だった(日中戦争の正当性の論拠以外)。内容も熟考した上の論理的考察と言うよりは、直観に頼った部分が多く、時代の雰囲気に流されて気紛れで書いたとしか思えない作品。
時代の産物
★★★★★
和辻は「寒さ」の現象を考察してこのようにいう。
「我々は寒さを感ずる前に寒気というごときものの独立の有をいかにして知るのであろうか。それは不可能である。我々は寒さを感ずることにおいて寒気を見いだすのである。しかもその寒気が外にあって我々に迫り来ると考えるのは、志向的関係についての誤解にほかならない。」
「寒さ」を感じることにおいて「寒気」を見いだすという。これは逆に言うこともできる。「寒気」を見いだすことにおいて、「寒さ」を感じる、と。このことは、天気予報を考えれば、このことも事実であることに気づく。それは、寒気がわれわれに接近することを告げる。この場合は、寒気というものが独立に存在しているのである。したがって、志向関係はどうでもよいことになる。わざわざ志向関係を述べる必要はない。
歴史的名著かも
★★★★★
モンスーン、沙漠、牧場と3種類の風土を湿度の点からまとめ上げている。その論理、切り口は鋭く、舌を巻く。完全に湿度を絶対的な基準として風土を規定しているのだ。その後でモンスーン的風土について詳しく語り、そこから更に、東西の芸術について風土の点から説明を展開する。
章の始めにまずそこで焦点となる単語の説明をする、間違った意味で解釈したまま読み進めると大変な誤解を招くためであろう。文章は割と読みやすく、また、同じ内容を言葉を惜しまず懇切丁寧に説明する姿は真摯に思う。
敢えて口を挟ませていただくとすると、第5章「風土学の歴史的考察」蛇足かなと思う。それから、もう少し自国の歴史について堪能でいて欲しかった。
和辻倫理学の展開
★★★★★
一五年戦争期に成った著作であるから、ここに書かれていることをそのまま現代に当てはめることはできない(現代なら「都市」の考察は必須だろう…和辻が都市論を書いたらどうなるかと想像するのは楽しい)。また、巻末の解説で井上光貞が綺麗にまとめているような批判も数多い。
にもかかわらず、やはり今でも読み返す価値のある名著であると評者は思う。何よりも、「風土と人間」という二項対立ではなく、「風土とは人間であり、人間とは風土である」とも言うべき和辻の人間観がそこに展開されている点は、人間をめぐる考察が絶えず回帰してくるポイントを貫いている。
天才的感覚・詩人的直感に基づいて綴られていると思しき記述の片言隻句を捉えてオタク的に揚げ足取りをしたり、学問的手続き論やイデオロギー批判によって斬って捨てたりすることはおそらくたやすい。しかしそれで終わってしまっては読み方としてはあまりに薄っぺらいのではないだろうか。