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人間の学としての倫理学 (岩波文庫)

価格: ¥864
カテゴリ: 文庫
ブランド: 岩波書店
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科学の希薄性 ★★★★★
人間の学としての倫理学の大切さは、読めば読むほど分かってくる。
アリストテレス、カント、コーヘン、ヘーゲル、フォイエルバッハ、マルクスと、誰がどういうことを言ったかはよく分からない。
しかし、問われているのは人間としての存在と、学としての目標だというのは共感できる。
科学という名のもとに希薄な事象がもてはやされることがある。
本当に人間に取って重要な事項が何かを問わない学は腐敗するだろうということが滲み出てくるような木がする。
大日本主義への前哨? ★★★★☆
京都学派の2番走者とも言うべき和辻哲郎による西洋倫理学の紹介を装う本書であるが、その実、ヘーゲル、フォイエルバッハ、マルクスと連なる人倫思想の系譜を跡付けた後、師である西田幾多郎によってそれらが乗り越えられたと宣揚する立場が仄見える。
周知の通り、これにつづいて高山岩男などの危うい「世界史派」が登場し、わが邦は20世紀の世界史に足跡ならぬどす黒い爪あとを残すことになる。
しかし、本書の哲学書としてのキモは、やはり先述の「ヘーゲル、フォイエルバッハ、マルクスと連なる人倫思想の系譜」であろう。現在の研究水準からすると随分と素朴と言うべきか。
ことにフォイエルバッハと「フォイエルバッハ・テーゼ」のマルクスの関係に対する理解は、教条的なマルクス主義と大して変わらない。もちろん、マルクスの理論そのものに対する評価はマルクス派とは全然違うのだが。
実際には、和辻の理解を踏まえてフォイエルバッハを理解した者が、その後の左派に多かったというのが正しかろう。その点ではフォイエルバッハ評価の走りでもあったと言えるかもしれない。これはあくまで後知恵に過ぎないが、近年のフォイエルバッハ研究を踏まえるなら、和辻の評価は皮相的なものだ。それは著者の責任だけを問うわけにはいかない。しかし、当時の日本哲学界(京都学派)が「世界史的」境位にあったとする子安宣邦の解説は、俄かに肯じることはできない。たとえば、これ以降(1930〜40年代)の経済ジャーナリズムでは石橋湛山などの情勢分析(小日本主義)なども出ていたのであり、冷徹な分析なき「世界史的哲学」などおよそ信じるに足りぬとしか思えない。
「日本倫理学に革新をもたらした」とする本書カバーの惹句にしても、結果的に不名誉な革新をもたらしたということに過ぎないのではないか。こうした認識なき本書の復刊は、何やらきな臭い。本書の本篇とも言うべき『倫理学』はまだ読んでいないが・・・。
和辻倫理学の最高傑作 ★★★★★
 倫理学とは。人間とは。存在とは。一つ一つの概念を丁寧に掘り起こしていく。人間とは詰まるところ人間(じんかん)であり、人と人との間柄を表しているなど、様々な意味で啓発されることが多い本である。その他、アリストテレス、ヘーゲル、マルクスなどを徹底的に論じて結論へと導いていく。