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和辻哲郎―文人哲学者の軌跡 (岩波新書)

価格: ¥819
カテゴリ: 新書
ブランド: 岩波書店
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「倫理学」の解説から ★★★☆☆
あとがきに「本書の出発点は2007年に岩波文庫に入れられた、和辻哲郎『倫理学』全四分冊に付した「解説」にある。一書とするにあたって、構成を大きく変え、箇所によっては原型をどどめないほど書きかえている。」とある。

和辻は『原始仏教の実践哲学』を学位論文として提出しているが、これについて著者はほとんど語るところがない。和辻の理解は、分野が広範に広がっているので、しかも専門的な研究からなされているので、一筋縄では立ち行かない。だから表面的な、ありきたりのものになってしまう。著者はそのことを充分わきまえているだろう。にもかかわらず、同じ徹を踏むことになっている。
ある文人哲学者の生と思考の軌跡 ★★★★★
一時は忘れられかけていたかに見えた和辻哲郎の哲学に、どうやら最近、再び注目が集まっているようである。和辻のどこに、現代人を惹きつける魅力があるのだろうか。

本書は、和辻哲郎の伝記的記述と、その主著である『倫理学』の読み解きとを軸にしつつ、この文人哲学者の生涯を通した思考の全体像を描き出そうとしている。その意味で、新書でありながら、内容的には人物全体をカバーするだけの広さと深さとを、本書は有している。

個々の著書や、個々の場面が、和辻の生涯の中でどのように位置づけられるか。そのような観点からすれば、木のみならざる森を鳥瞰するがごときクリアな見通しを、和辻哲郎への読み手の理解に与えてくれるだろう。

「和辻哲郎入門」として、また「和辻哲郎再入門」として、広く読まれることが期待される良書である。
地球環境時代という文明の曲がり角に ★★★★☆
本書の目次を見ると分かるとおり、この本の論じ方は三題噺の構造になっている。序章、終章をのぞけば章、節、項がそれぞれ三つずつからなる。

本書で著者は、和辻の主著「倫理学」「人間の学としての倫理学」「古寺巡礼」「風土」「自叙伝の試み」他の著作を引きつつ三題噺を展開するが、引用された和辻の文章がことのほか抽象的でなく、具体的で時に平易な例示を伴うことが多い。これは和辻の特長なのであろうか。著者の扱う題材は、例えば、第2章の項全部を上げれば、第1節が「夫婦と信頼」「日本古代へ」「原始仏教へ」、第2節が「風土論から」「カント解釈」「日本語論へ」、第3節が「マルクスへ」「倫理の意味」「関係と身体」と幅が広い。

三題噺は、しかし、実は、これも和辻の特長かも知れないが、歴史、人生という時間の流れを扱うことが多いので、いわゆる「三題噺」に終わっているわけではなく、その三次元構造に時間軸を加えた四次元構造で和辻を跡づけることになっている。

和辻の思索の跡はまた、詩人的直感などといった文人の特質によりつづられ、著者はそれをもって文人哲学者と称している。かくして、歴史、人と人、風土と営み、太古からの知恵などを経て、知への愛と始原への回帰という時空間をめぐる思索の文人として、著者は和辻を描き出すのである。

和辻は、評価が極端に流れない思想家、強烈な批判に晒されない哲学者であるのだが、それは上記のごとく著者が紹介するような幅の広さ、懐の深さ故のことであろう。そのことは、どのような立場に立つ人にとっても席をともにするに値する思想家、哲学者ということでもある。そして、和辻のどこから何を引き出すかは、読者のセンスに属する問題である。地球環境時代という言い方に代表される文明の曲がり角にある現代において、和辻から大きな何かを学ぶ入り口として本書を推す所以である。
「哲学者論」の傑作中の傑作と思いました。 ★★★★★
「あとがき」にあるように、「『倫理学』を和辻哲郎の生涯の軌跡によりそいながら読むこころみ」という表現が的確。限られた紙面で、大著『倫理学』のエッセンスを独特の構成で語ると共に、和辻の人生をレビューしていく、そして、必要に応じて、他の著名な和辻の作品にも触れていく、という離れ業を、あざやかに、しかし、静かに淡々と果たしている。新書という限られたヴォリュームに、無闇に知識を詰め込んだ形跡は無く、むしろゆったりとしたゆとりのなかで、おはなしされていくところに感心する。著者の背景にある膨大な読書量と的確な理解の賜物で、当代こんなことができる人は何人も居ないと思う。『倫理学』を読んだ人は、誰しも思うと思うが、当時にあってこんなに文献渉猟しているかと圧倒される読書量、的確極まりない読解力、それに加える見事なまでの自身の批判的な解釈と独自の解釈に感服するだろう。その大著を、決して縮めることなく的確に紹介し、既読の人も再読に向かわせるだけの力を本書は持っていると思う。でも、納得できないこともある。たとえば、著者は、東慶寺にある和辻の墓を、衒わない素朴な墓であるかのごとく描き、それを一再ならず示唆して読者に和辻の或る象徴的な一面を示しているようだ。だが、東慶寺に行ってみれば分かることだが、和辻の墓の敷地は西田、鈴木大拙、小林秀雄らの墓に比して絶して広く、ロケーションも含めて、「日本主義」を背負った俗人にしか思えないと思う。『倫理学』以外の和辻の著作は俗物臭がある(「古寺巡礼」「風土」など何だ、ありゃ?という感じがする)。生涯において、哲人らしからぬ嫌味な挙動(藤岡事件など)もあって、墓の姿と呼応するかのように思う。和辻は、勘の鋭いプラグマティストの清水幾太郎を敬遠していた事は知られているが、分かるような気がする。