大人になってからはじめて読んでみて
★★★★★
理性も、人を思いやる気持ちも多分持っているけれど、それでもどうしても周りの子の、学校の”ふつう”に馴染めない。その中で我を通しながら生きていくことはなかなか大変で。
そういう子供を描いた本はいくつか読んだことがありましたが、そういう物語に現れる大人は主人公にとって一方的な悪者か、もしくはなにもかもを悟ったような聖人のような人のどちらかかだったような気がします。
この小説には主人公である、崇高にとんがった小学生の杉子のほかに、杉子の気持ちと共感するところがあるその弟と兄、そして大人である杉子の母と学校の先生の多恵子さんが出てきます(杉子の父親はまた彼らとはちょっと違う格好良い大人です)。杉子の気持ちは胸になつかしく染みるところがあり、そして先生や杉子の母親の、大人になっても消えることのなかった子供の頃のからの感覚、子供である杉子を見つめる気持ちに息を詰める。過去と今これからを異なる世代の目から描き出したことでこの物語は未来への奥行きをもちます。
杉子を抱きしめてあげたい、そう思えるようになったのは自分も大人になったからなんだなあとしみじみ思いました。
自分の言葉を持つこと
★★★★★
読み終わった後も、何度もこの本のことを考えてしまった。
何が普通で、何が正しくて、そんなこと誰にも分からないと思うけど、
世の中と上手く折り合いをつけて生きていくことも、きっと必要で…。
常識や現実や世間、いろんなものにがんじがらめにされて、
それでも日々生きている人達。
自分の見えている世界、考えている言葉、
少しずつ周囲とずれているよう感じる人達。
きっと、この本が「救い」になった人が、たくさんいるはず。
「自分の言葉を持つこと」は、幸せなことなのか不幸なことなのか分からない。
でもきっと、自分の言葉を持つがゆえに周囲と違和感を感じても、孤独でも、
自分の言葉を失うことだけは耐えられないと思う。
最後の、ママから多恵子さんへの言葉が一番印象的。
自分もきっと、戦える魂を持って生まれてきたと思いたい。
この本は生き方を問いかける。
きっと正解なんてないけど、小さな戦いを毎日繰り返しながら、
自分の言葉を守って生きていきたいと願う。
知的エリートの栄光と悲惨,少女篇
★★★☆☆
学校とは無関係に,家で何時の間にか自分の個性を確立してしまい,知的エリートとして周囲から孤立してしまう現象は必ずしも稀ではないのだろう.この場合,個性は非寛容性が強いので,エリート同士の連盟などは考えられない.そして知的水準が高いので,小学校程度の教育を外から与えて貰う必要もない.それだけに,通学してクラスの連中と折り合いをつけるのは苦痛以外の何物でもない... このような事情の女の子の内面を容赦なく散文詩的なスタイルで画き出したのが 氷の海のガレオン である.私にも経験があるのである程度理解できるが,タイトルの意味が不明だし,なぜスズキなど奇妙な名の弟がいるのか一切説明がないので,この世界に入り込んで主体的に味わうことが不可能である.なぜここまで読者を無視できるのかは,作者の勝手かも知れないが納得が行かない.作者自身知的エリート過ぎる為だろうか.
"ふつう"、が難しい。
★★★★☆
「氷の海のガレオン」。
自分だけが特別かも知れない(でもそうじゃないかもしれない)。
自分が孤独なのは天才だからかもしれない(そうじゃないかもしれない)。
自由な言葉を話す家族に囲まれて育ったからこそ、同級生の中で疎外感を持つ11歳の少女杉子。
狭い子供の世界の中で、普通じゃないってのはつらいなぁ、と思います。
杉子の両親は詩人のようなちょっと変わった人たちだけど、話のエッセンスだけは共感できる人も多いのでは。
書き下ろしの「オルタ」の方は、小説というまでには昇華されていない日記的な(ブログ的な?)、書き方ではあります。
でも、母親が必死に娘と、娘の周りの世界を理解しようとしている姿に説得力がありました。
6〜7歳の子は確かにこういう孤独な世界を抱えている子もいるかも。