お寺の変化に期待します
★★★★☆
最近死生観について考えるようになり、
仏教を少しづつ勉強しています。
この本で著者は、現代の日本の仏教やお寺の在り方に、
疑問を投げかけ、新しい可能性や方向性について
示唆しています。
実際、核家族の中で育った私は、
仏教やお寺との繋がりが希薄で、
葬式での関わり位しかありませんでした。
しかし、仏教について少し勉強すると、
現代においてお寺や仏教が、
その本来の役割を果たしていないことが
理解できてきます。
つまり、仏教とは「生き方の教え」であるという点です。
この点も踏まえ、著者がこの本の中で述べている考えや、
実際に実行していることは強く共感できます。
現在、社会不安の増大と共に、
社会貢献やコミュニティビジネスについての
重要性が高まっていますが、
その点においてもお寺の果たす役割は
大きくなっていくことと考えます。
そして今後のお寺やお坊さんの変化に期待するとともに、
自分自身そのムーブメントに深くかかわって生きたいと思います。
寺は、変わらなければならない
★★★★☆
寄付というもので成り立つ寺院は確かに限界に来ている。
実体験として葬祭時、葬祭後に寄付を要求されるケースが多い中で、本書を読んで確かにその思いを強くした次第。
著者は元来決して理想に燃えるタイプではなかったようだが、ニューギニアの戦地将兵の慰霊を機会として、死に対する思いを強く持つようになったという。この経験からわかることは、確かに昨今の僧は死の前や、死に至る直前に必要なものだとは思われなくなっている。
元来宗教というものは生前の死に対する怯えや人生の不条理に対するアンチテーゼとして生まれたということは、当然忘れてはならない。そのことが、生前の寄付となって現れているように思えるのだが、現在は全てが形骸化しているように感じられる。僧であるのに経典を読むことができない御仁まで出てきている有様。
本書の後半はイベントの紹介的な流れとなってはいるが、底にある思想は首尾一貫しているように思える。批判はあれど、仏教が進む道としての方向性は指し示していると感じる。
これお坊さんの仕事?
★☆☆☆☆
いまの日本の仏教界のしくみでは、仏教本来の大事なことが伝えられていない、ということに警鐘を発した点は理解できる。
筆者は、ビアク島で戦没者の遺骨にふれたときに初めて悟ったのであろうが、「では、それ以前の修行時代になぜ、なんの気づきも得られなかったのか」、という点がまったく究められていない。
そこを分析せず、「いまの仏教界はおかしい」と叫ぶだけでは何も変わらない。
たとえていえば、いじめなり、失業なりを体験している一般市民のほうが、修行を経た僧侶と称される人よりも、よほど生と死について深い考えを持っている場合がある、というところに、「この国で僧侶が崇拝されない」根本原因があるのではないのか。
また、筆者はビアク島で気づきを得られたのち、それまでの半生を悔いているのはご立派なことだけれど、医薬品を配ったり、マスコミに出たり、有名人をお寺に呼んでイベント開いたりということが宗教者の仕事だとは思えない。
やるなら、ごく当たり前に座禅の会でもなんでも開いて、それで訪れた人々が和尚の人格に“感応して”自然と悩みを話してしまうような、そういうお寺をめざしてほしい。
(宗教者が)有名になること、マスコミに出ること、さらには政治とつるむこと――それこそが、著者の疑問視した「宗教がなぜ戦争を起こしてきたのか」という事実と直結しているという事実に、なぜ気づかないのだろう。
そう言われても・・・・
★★★☆☆
タイトルに惹かれ購入。「変われ」と言われて、変われるお寺、または変えなきゃいけないお寺はそうすればよい。しかし、寺院と言っても宗派はもちろん、檀家数、地域性、立地条件、歴史・・・・等千差万別。いや、同じ宗派でもそれぞれ違うだろう。
一読した限りでは、著者のお寺はかなり大きなようで、本人さんもかなり「やり手」と読み取れる。中には大きな寺故の苦労話やアドバイス、または自慢話?的な事が書かれているが、大きなお寺ならそりゃ当然の事。それが出来ないから苦労する訳で、またそれをしちゃうと運営がうまくいかなくなるお寺も数多く存在するはず。
一般在家の方がこれを読んで、誤解しなければいいけどね。
この寺を見よ!!
★★★★★
今年最後に読めて良かった本である。
著者は本職の臨済宗の、お坊さん。
なんとなく図書館でタイトルが気になって読みはじめたら、大当たり。
序盤こそあたりさわりのない、現代仏教批判がつらつら続き、「こりゃハズレかな〜↓」と思ったが、終盤に近づくにつれ、テンション(内容の)はウナギ昇りに上昇!!
こんなことやってます×55くらいのオンパレード…
いやはや参りました
m(_ _)m
内容としては、「古来、日本の寺社はNPOとしての役割を担っていた」とする、ドラッカーの説を現代に甦らせる試みの記録だといえる。
地域のコミュニティへの参画、国内外におけるNPO活動、終末医療への寄与、寺内でのイベント、著作活動、葬儀改革、そして情報公開…
いい意味で唖然とさせる内容盛りだくさんである。
恵まれた環境にある、だとか、資本主義的な顧客中心の商業主義に堕している等々の坊さんサイドからの批判はあるかもしれない。
しかし、私はこの本を読む限りでは、この著者の生き方には賛成である。
まさに自己を賭して、縁起の一因子たるべきこと
これを実践しているかに見える。
如何に、苦しみにみちた世界をよりよくしていけるのか…安直に言ってしまえば、現代における菩薩道のひとつのモデルたりえるのではないか。
感想としては、
伝統とは常に新たなるものなり、
これを思いしらせてくれたな、という感じ。
旧態依然とした、従来の葬式仏教では、日本の仏教は滅びてしまう。
それは、釈尊から始まり、中国、朝鮮を経て、この遠い島国に渡ってきた教えを無に帰することだ。釈尊の苦悩、アビダルマの論師たち、龍樹の論理学、玄丈、鑑真、空海、最澄らの命がけの旅、鎌倉仏教の祖師たち、円空、木喰の仏たち、幕末明治期の僧たちの必死の抵抗…
数え挙げたらきりがない、大きな歴史の流れ、無数の生と死を踏みにじることになる。