チベット密教も大乗仏教を踏まえて初めて深遠な意味を顕現する
★★★★★
仏教と一言で言っても多種多様、初期の原始仏教から中観思想に根本乗、中国禅、
日本に渡って華厳思想、密教、浄土思想、曹洞禅に臨在禅など。
そして昨今そのセクシャルな壁画などからも、非常に強い印象をあたえるチベット密教が、
異質な感じを与えるのは通常の感覚だろう。
しかし点在する情報などを散見すると、論理的思考と利他の精神を強力に実践している
ダライ・ラマを法王とするゲルク派でも大変重要視している。
著者の指摘するように、これまでチベット仏教の知識は、余りにも偏っていたため、
仏教の中での繋がりを欠いてしか考えることができず、オーム真理経のような
最悪の結果をも招いてしまった。
しかし本文に有るように歴史を紐解いていくと、社会背景等と共に「ヘーヴァジュラ・タントラ」
などの後期密教も、意味を持って現れてきたのが解ります。
ゲルク派の祖ツォンカパは、性的ヨーガの有効性は認めながらも、その実践は否定し、
観想としてのみ、この修行を実践することを求めたようです。
又現在も進化の途中で、過去の偉大な聖者達を悩ませていたヨーガも、これからも
現在から未来へと進化していくのだろう。
ただ著者二人の文章を、文章によってどちらが書いたかを、明記した方が良いのではと思いました。
チベットとは全く違った環境で育ち、行の経験も全く踏んでないであろう正木氏の見解は、
相対的で合理的、そして解りやすく理解を促してくれますが、やはり何か片手落になっている感は
否めない感じです。
客観的かつ基本的な解説。良書です。
★★★★★
210ページのうち半分が「歴史編」、あと半分が「修行編」。記述はていねいで客観的であり、少ない紙幅の中でチベット密教をバランスよく解説している。
私は、日本の密教に関心がありその関連書を何冊か読んだことがある。チベット密教はどう違うかと思い読んでみたところ、その類似点・相違点がよくわかり実に興味深かった。
ただし、(1)純粋に宗教としてのチベット密教を解説した本であり、現代チベットの政治状況との関連は全く記述されていない、(2)終始、客観的かつ淡々とした解説が続く、ということから、密教に関心の薄い読者にとっては苦痛を感じる内容であるかも知れない。
頼りになる入門書
★★★★★
ちくま新書から出ていたものに、「補遺 チベット密教のマンダラ世界」と増補した本。
内容はチベット仏教の歴史編と修行編の2部構成。
入門書とはいえ、かなり詳しく専門的に書かれています。
ただし、ゲルク派メインで書かれている。
本を書く人ってのは学者先生が多いから、どうしてもゲルク派が魅力的に映るんだろうと思う。
この本の特徴としては日本に伝わって来なかった、後期密教の経典の一つである「秘密集会タントラ 聖者流」の内容の概略が載っていることだろう。
ここは大変興味深く読ませていただいた。
また、巻末に読書案内のページもあり、これからチベット仏教系を学びたいという人にはとても参考になると思います。
避けるべき道
★★☆☆☆
チベット仏教には、清浄瑜伽と性瑜伽が混在している。釈迦直伝の成仏法は、清浄瑜伽(ホワイト・タントリック)と呼ばれ、安全な方法だが時間がかかる。理由は、菩提心の成就が必要であり、その醸成には四沙門果の修行が不可欠だからである。いわば試験勉強をして入試に合格して大学に入るようなものである。
ところが、9世紀になると“クンダリーニを覚醒させるエネルギーを迅速に得るには、性秘儀によって下半身のチャクラを熱することが効果的だ。”という巷の発見が「悟り」と誤解されて後期密教に取り込まれてしまった。これは性瑜伽(レッド・タントリック)と呼ばれ、速効だが人間性を高めなくとも成就しうるという意味で危険である。いわば、裏口入学である。もちろん、四沙門果になれる訳ではない。
13世紀に性瑜伽中心の後期密教がイスラム教に滅ぼされると、その教えはチベットで無上瑜伽となって蘇ったのである。無上瑜伽に含まれる秘密集会タントラとは激しい性的な教えであり、性瑜伽を学ぶ為にナーランダー大僧院の僧院長を辞したナロパは、還俗して一介の漁師出身の成就者ティロパに師事したことが有名である。避けるべき道である。
本書の著者らは、こうした歴史を塗り替える新しいチベット密教を論じているのかと思って読んだが、残念ながら歴史をなぞっているだけである。著者らによる『チベットの「死の修行」』や『性と呪殺の密教』を読んでも、印象は変わらない。
こうした危険性をすでにブッダ釈尊はお見通しのようである。堤婆達多が僧団を破壊し、仏身より血を流させてから、間もなく説かれた『根本五十経篇 比喩の章 大心材喩経』(パーリ語中部経典)には、4種の脱落修行者が説かれている。すなわち、1)利得や名声を得て放逸になる者、2)戒を備えて放逸になる者、3)定(禅定)を備えて放逸になる者、4)智見(天眼)を得て放逸になる者、である。因みに、堤婆達多は4)である。2)から4)のような四沙門果に見えてもシュダオン(預流)果に至らない修行者は、世間欲の誘惑を受け入れれば、放逸になってしまうのである。性瑜伽など論外であることは、明らかであろう。
性的ヨーガの理論と現実
★★★★☆
1942年生まれのチベット系日本人(日本国籍取得)のチベット仏教学研究者と、1953年生まれの日本人宗教学研究者が、オウム真理教事件を念頭におきつつ2000年に刊行した、チベット密教入門書。仏教は教理研究志向の強い顕教と、理論を実現するための霊肉を開発する修業法に重点を置く密教とに大別され、後者は特に末期インド仏教にとって、イスラーム教とヒンドゥー教の攻勢に対抗するための切り札として普及した。インド密教は、寂静の道から増進の道へ転換し、解脱のための身体・言葉・精神の統合を志向し、また空性と快楽の結合によって、新たな発展領域として性的ヨーガを見出したが、これは戒律との相克という難問を抱えていた。インドの周辺地域に当たるチベットでは、特にインド仏教の強い影響下に、アティーシャやツォンカパによって、密教優位の形での顕密統合思想が大成された。最大宗派ゲルク(徳行・黄帽)派の宗祖ツォンカパは、中観思想・聖者流により秘密集会タントラの本質を確定し、戒律を重視し、密教修行者に高度な顕教修業を義務付け、観想による性的ヨーガ(チャクラを緩めて気を中央脈管に導きいれ、双入によって、快楽の中で根源的な意識を解放する)を強調し、チベット密教の基本的な方向性を確定した。著者たちはその後、ニンマ派(固有信仰と融合した古派)・カギュー派(教理を軽視し行法を重視。カルマ・カギュー派は転生活仏制度を生み出す)・サキャ派(道果説)の修行法をも概観し、読書案内で本書を締めくくる。門外漢には用語がなじみにくく感じられ、またチベット密教への著者たちの傾倒ぶりも気になるが、その歴史(ダライラマへの言及は少ない)といささかショッキングな修業法を、比較的正確かつ平易に述べている本書は、入門書として有意義であると思う。