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The Measure of Reality: Quantification in Western Europe, 1250–1600

価格: ¥2,213
カテゴリ: ペーパーバック
ブランド: Cambridge University Press
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数学の覇権 ★★★★☆
 近代科学はなぜヨーロッパだけに生まれ、またなぜヨーロッパ帝国主義だけがグローバルな成功を収めたのかは、その覇権がいまだに世界的現実であり、オルタナティヴもしかと見出されていない以上、依然大きな問題です。
 本書はその答えを与える試みです。定性的・目的論的世界観から定量的・自然主義的世界観へのシフトが鍵で、それを駆動したのが数量化と視覚化だと。つまりは代数と幾何であって、数学の覇権の物語なのでした。数学そのものというより、技術と結びついた数理科学ですね。話題は豊富、筆致にはエスプリがあって、読ませます。日本の歴史家はどうしてこの種の本が書けないのでしょう。その左翼的な姿勢において山本義隆の16世紀文化革命論に共通するものがあるけれど、クロスビーのサーヴィス精神はずっと旺盛です。
 翻訳は流暢で、改めてこの訳者の力量には感心しますが、「セヴィリャ」とか「ディセグノ」といった誤記が玉に瑕です(「セビリャ」、「ディセーニョ」が正解)。
心の考古学 ★★★★★
歴史学者の手による本だが、歴史学という呼び名には収まらない。西ヨーロッパ人が数量化・視覚化という手段を手にするまでの経緯を示した「認識史」とでも呼ぶべきものである。「心の考古学」と言ってもいい。具体的には、時間、空間、絵画、音楽、数学、会計が取り上げられている。これらの領域では、程度や様式の差異こそあれ、底流する認識的基盤そのものは歴史的に見て比較的静的なものに思えるだろう。しかし中世ヨーロッパの人々にとっては、現実世界は時と場所と立場によって差異のある不均質なものであり、数は単に量を表すものではなくそれ自身がある種の特殊性を持つものであった。時間も重さも何もかも正確に測られることはなかったし、その必要もなかったらしい。

そうした世界観が、どのようにしてルネサンスや科学革命をもたらすにまで飛躍したのか。著者はそれを、信仰上・商業上の必要性と、神学におけるプラトンの再発見に求めている。中世は暗黒時代とよく言われるが、実際には行商人や両替商や神学者が、技術と数学の発達を伴いながら後の飛躍のための準備を着々と進めていた時代だったようだ。浅学ながら、複式簿記の発明者パチョーリは初めて知ったが、実践上の認識を発達させたという意味で、理念上の哲人であったアクィナスと並び称されていいのではないかと個人的に思う。

今日、われわれが「西洋的」と称するものの見方は近代西ヨーロッパのそれであって、それ以前は東洋のそれと比べてもそう変わるものではなかったようだ。数百年後・数千年後に同種の本が著される時、未来人の目に現代人の認識はどのような面で奇妙に映るのだろうか。いずれにせよ、人間の認識の歴史的・文化的側面を知る上で貴重な資料である。
音楽と会計 ★★★★★
 欧州での中世から近世へと移行するに際し 物事の「数量化」と「視覚化」が大きな役割を果たした点を解明する一冊である。

 既に「数量化」「視覚化」を前提とした現代に生まれた小生ゆえ 「当たり前」であることが 実は「革命」であったという本書は 目からうろこが落ちる思いである。歴史の本を読む楽しさの一つは 自分が持っている常識が いかなる経緯で常識となっていったのかが分かる点であると思っている。

 また 本書の特色としては 数学、音楽、絵画、会計という 現代人から見ると全く異なる世界を 横串で突き刺し それらが誕生した際にあった共通の心性を見事に炙り出している点にある。会計と音楽を貫く時代の精神がかつてあったという点は 「現代会計入門」とかいう本をたまに読まざるを得ない サラリーマンたる小生にしても 一服の清涼感である。音楽を聴くように会計を勉強すればよいのだ。

 仕事に直接関係ない本を読むことは 気分転換になるし 勉強にもなる。しかし それ以上に 特に このような本を読んでいると 日々の仕事に潜んでいる 歴史、人間の「精神」が見えてくることがある。そうなると仕事も馬鹿にできない。仕事の先に見えてくる「精神」。そんなものも信じているのが若干楽観的な小生ではある。

当たり前になってしまった後では気がつかないこと ★★★★★
 数量化と視覚化は、かつては当たり前のことではなかったのですね。革命後の社会に住んでいると、革命で勝ち取ったものが見えなくなってしまうのかもしれません。

 最近数年間、自分たちの仕事を「数量化」し「視覚化」することに取り組んできました。仕事のパフォーマンスを第三者に理解できるように求められ、その結果、「数量化」と「視覚化」に行き着いたわけです。しかし、一方で、これらの方法が常に説明として最も優れているわけではないことも感じていました。説明のわかりやすさは、文化的な背景や前後の経緯によって違ってくるはずです。ただ、多くの人々の理解を得たうえで、米国流マネジメント手法が前提の経営者層に説明を行うには、この方法がベストだという判断でした。

 本書のタイトルと紹介をアマゾンで見たとき、当時整理し切れなかったテーマをストレートに扱っているのではないかと思えました。西欧諸国が現在の「数量化、視覚化ワールド」に切り替わった契機と進行を追体験できるという期待が膨らみました。

 実際に読んでみて、数字、暦、機械時計、地図、貨幣、楽譜、遠近法、複式簿記といった実例の数々の説明で、1300年前後のパラダイムシフトが理解できたと思います。その数百年後の、産業革命を支えた革命の一つなのだと理解しました。

 そして、「数量化」という結果を覚えることと、「なぜそういうパラダイムシフトが起きたのか」「他にはどんな可能性があったのか」という結果が生まれるプロセスを学ぶことの違いの大きさ。これまで、「ゲーデル,エッシャー,バッハ―あるいは不思議の環 ダグラス・R・ホフスタッター (著)」や「ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く アルバート・ラズロ・バラバシ (著)」を読んだときと同じ感覚でした。この本をまとめあげるために作者が費やした労力と、読んだであろう本・資料の数、それを編集する時間を考えると気が遠くなる思いですが、後世に残す知的財産としての価値は計り知れません。

科学主義の勃興にはわけがあった ★★★★★
テキサスの大学で教えていた歴史学教授が、中世から近世に移行できたのは、時計と海図、簿記の発明という数量化革命があったおかげで、見る精神(実証主義)の出現では、絵画での遠近法、音楽の楽譜、黙読(中世は音読が普通で、図書館は音読する人でうるさかった)が開発されたという。

おかげで、オカルト的な中世から科学主義の近世への扉が開かれたが、こうした偉業を成し遂げたのは、最下層の職人的な人材であった。
なるほど、そうか! 目から鱗、西洋の中世から近世への移行できたことがよくわかる。こんな歴史学の講義が聞けるアメリカの学生は幸せである。