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書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

価格: ¥540
カテゴリ: 文庫
ブランド: 角川書店
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君と二人でこの町を出ていこう ★★★★★
ブルース・スプリングスティーン「サンダーロード」ナップザック一つでハイウェーに立つケルアック「路上」君たちは年金貰えるかどうかは微妙なんだから「書を捨て町に出れば」街頭に立てば道は無限に続く。そう思わないかお兄さんよ。寺山修司は天才である。1967年から早稲田ゼミにも行かず新宿歌舞伎町のジャズ喫茶に朝から入り浸りシンナーを吸ってるフーテンを東口で眺めたり1日ぶらぶらしてた。寺山のポスター(横尾忠則)がDIGに貼っておりチケも売っていた記憶あるが天井桟敷は見なかった。演劇に全く興味がないから。これ後悔してる。花園神社(花園饅頭うまい)では唐十郎のテントが張ってあった。二人は凄く仲が悪い。新宿は昔から美人が一人もいない不思議な町だ。これは作家・大岡昇平もいっていた。銀座よりもかなり落ちると。新宿では野田君とよく飲んだが今は文化の香りがまったくしないね。紀伊国屋書店だけ昔のままだ。一杯100円のトリスバーが昔あったが。3杯飲んでも300円。1000円あれば1日遊べたね。映画みたり。300円。
いまだ生きている文学作品 ★★★☆☆
 タイトルだけだとなんだかアジいっぱいの危険な書物としてとらえられそうであるが、読んでみて、そんなものではなく、虚実おりまじえたと言うか世間離れしたエッセイ集という感じがした。懐かしの高度経済成長期の読み物である。昭和のにおいがぷんぷんする。

 今や平成の世であり、親子が、級友同士が殺しあう世の中である。とてもこんな悠長なエッセイがそのまま通じるわけがない。いや、この本に限らず寺山修司なんて批判しようと思えばいくらでも出来るのかもしれない。

 それでも、この本は一度は読んでおくべき一冊と思った。薄ぎたなくても、クソがつくくらいしぶとく生きていこうと言う意思がここにある。そして、そういう意思は、今もというか今だからこそなくしてはならないのだと思う。

 いまだどっこい生きているいますよ、と語りかけてくる一冊である。
 
古い映画を見て、「(その時代にしては)スゴイ」という感想を抱くのと似ている。おもしろい指摘は多い。 ★★★★★
競馬には興味がないため、第1章と2章を読みました。
まず、寺山が1960年代の人間だということを強く感じた。
そして、その当時においては相当な急進派というか、思想的に自由な作家であったのだと感じた。
古い映画を見て、「(その時代にしては)スゴイ」という感想を抱くのと似ている。

以下、内容について。

・パチンコのくだりが古い。
・「あたしが娼婦になったら」の詩がGOOD。確かに17歳の女子高生には「親父たちの性にまつわる垢」はない。
・経済的な「一点豪華主義」を実践してみたいと思った。日常における冒険というやつだ。
・若者は年寄りに迎合しすぎだという指摘はなかなか素敵。老人たちの思うままの青年ばかりではつまらない。
・「世にも哀れな女は嫌い」というのはうなずける。
・ヒッピーの素敵な言葉が紹介されている、「長い間、理性で悪いことをしてきた」。理性に傾いてバランスが悪くなっている方へ。

他にも、「サッカーと野球」をキンタマ的に比較したり、「ラーメンとカレーライス」でカレーをホワイトカラーの典型と言ってみたりおもしろいところは多い。

自由奔放に見えながら、郷愁溢れる作品 ★★★★☆
寺山氏の名を世に知らしめた出世作で、安保闘争に敗れて方向性を見失った当時の若者にはバイブルのようにして読まれた。今回は再読だが、記憶に残る過激性とは裏腹に普遍的な感慨を覚えた。

基本的には、正義・家・社会・小市民的感覚・性的タブーと言った既成概念を唾棄し、若者が持つ原初的パワーと行動力で現状を打破せよ、と言う主張であり、現在でも通用するものである。と言うか、時代は変っても世相は変らないという証左であり、作中の「1960年代は少年犯罪が増えている」との言葉には薄気味悪いものさえ感じる。著者は特に速度と明快さを重視しているようで、野球よりサッカー(=大きなタマ)を愛好している。ストリッパー、トラックの運転手、パチプロと言った庶民の視点で物事を論じているのも著者らしい。そこには虚飾はなく、ただ現実があるのみである。勝負事に勝つためには「不幸」を背負う事が重要、「賭博=一点豪華主義」と主張しているのもその延長。

議論のモデルとして、月光仮面、怪人二十面相、沓掛時次郎、杉山等が出てくるのも懐かしい。一見自由奔放に見えながら、社会の弱者に優しい眼差しを向けた人懐こしさを感じさせる郷愁溢れる作品。
古典的文学作品です ★☆☆☆☆
やくざになれる、の章はほとんどが競馬の話で、本当のやくざは出てこない。もちろんやくざのなり方など書いてない。自殺学の章は大半が冗談。
全体的に、評論のパロディ的エッセー。もしくはギャグエッセー。しかし文体は固く真面目。話も真偽が不明なことばかり。60から70年代の話が大半なのでその時代に詳しくない人は面白くもなんともない。