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福沢諭吉の真実 (文春新書)

価格: ¥756
カテゴリ: 新書
ブランド: 文藝春秋
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福澤諭吉をめぐる歴史探偵物語 ★★★★★
 福澤諭吉の死後、福澤諭吉名での著作が付け加えられ、その付け加えられた著作により死後数十年を経て弾劾されたとしたら、福澤諭吉もさぞあの世で居心地が悪かろう。
 本書は、福澤のアジア観と「脱亜論」を正当に位置づけ、福澤のアジア観と「脱亜論」とされたいたものの正体を解明する言わば歴史探偵(学術的に試行的に)としての役割を担った平山洋による理詰めでスリリングな一冊です。
 平山は、初出紙誌、福澤存命中やその死後のそれぞれの時代に発行された『全集』とその発行事情を、福澤の書簡等を詳細に読み込み、相互の関連を明らかにする。そして、「無署名論文」が『全集』収載され、福澤真筆とされていく過程を追う。そして人の嫉妬という病理も。
 戦後の価値観の転換の中で、既に歴史の人である福澤は一部から偽著作を材料に弾劾を受ける。身に覚えのない言わば「冤罪」である。
 福澤諭吉をめぐる歴史探偵物語は、「冤罪」の構造解明と真犯人とその共犯者(意識的・無意識的を問わず)を明らかにする。それは、福澤諭吉の膨大な顕名著作群に紛れ込まされた無署名論文群に正当な評価を下す物語でもある。
 平山洋により、推理小説の様なスリルを味わいながら、文系の科学的論証の方法論の提示を受ける一冊となっている。
 「福澤諭吉救出作戦」と言ったところか。 
高校教科書「倫理」「日本史」が書き換えられる! 学問的論証を駆使した、思想史的大事件 ★★★★★
 これは日本思想史上の大事件です。私は高校の教師で「倫理」や「日本史」を教えることもあるのですが、確かに前から福沢諭吉が「晩年になって彼はアジア侵略を容認する国権主義者へと転じた」という論調で語られるのに辟易し(なぜそんなことが強調されるのか政治的恣意を感じる)、そして彼の思想的不一致に大きな違和感を覚えて授業で紹介する時に苦吟し、「脱亜論」の原文史料にあたったら皆目喧伝されるほどの論旨でもないし、よく分からないけれど何か変だと思ってきたのです。そしてその第六感こそ本来的な感触だったことがついに証明されました。福沢諭吉は終始一貫して市民的自由主義者だったのです。
本書は社会的欺瞞とも福沢の業績に対する冒涜とも取れる、時事新報主筆石河幹明の思想犯罪を実証的に解き明かします。新書の体裁をとりながらその論旨は明快。文献の読み込み、絞り込みも適切で、常に別の可能性も示唆しておきながらそれを反証し論証を重ねていく論の積み重ね方は「これぞアカデミズム」と言わんばかりの見事さで、凡百の新書の規格を超えています。これは立派な学術書です。そして日本思想界の一巨人に対して浴びせられてきた汚名が今後払拭されることでしょう。反論もあるようですが、平山氏は再反論をし、ネットで見るところそれは明白に平山氏に軍配が上がるものです。これが学問的な「強さ」というものです。コピペ病が蔓延する大学の学びの場の現状があるそうですが、本書の在り方は素晴らしい手本になるでしょう。
 それにしても石河幹明氏が書いたとおぼしき文章の拙劣で下品な論展開と言ったら、日本人の血を引くものとして恥ずかしい限りです。こんな文章が「時事新報」に載っていたとしたら現在のアジア諸国に糾弾されても当然ですし、それが福沢名義にされていたとしたら現在の彼の汚名は仕方なかったかも知れません。いまだ記憶に新しい石器捏造事件と同様、許されざる学問犯罪として本件は歴史に残ることでしょう。そして本書を嚆矢として、高校教科書「倫理」「日本史」の記述が書き換えられていくことを期待しています。福沢諭吉はこの日本が誇るべき、真に偉大な思想家であったというように。
歴史考証の醍醐味 ★★★★★
わたしは、平山氏の『大西祝とその時代』から、
本書に興味をもったという(稀有な?)、つまり、
福沢諭吉については教科書程度の知識しかもっていない
一読者である。

内容それ自体について、ほかのレビューを参考にして
もらうにして(わたしにはそもそもできないのだが…)、
歴史考証の醍醐味をぞんぶんに味わうことができた。

批判対象(福沢のアジア蔑視の像)が明確なため、
論旨をとらえやすかった。
それでも、議論がややこしいなぁ、と思う読者は、
各章の末にまとめが付されているから、
それをよめばいいと思う。

追加:
安川氏による再批判『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』、
さらに平山氏による再々批判が公開されています。
『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』も併せて読むべき ★☆☆☆☆
この新書を徹底的に批判している安川寿之助『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』が上梓された。この新書を読了した人は是非とも読むべき本である。
安川はこの新書を、「福沢の思想への内在的考察を怠った、形をかえた新たな福沢諭吉美化論にすぎない」(p.69)と、平山を論駁している。その根拠の一つとして、石川幹明が福沢の思想に忠実であったことを論証しており(p.73-)、非常に興味深い。
また安川は平山批判にとどまらず、古田武彦の「"天は人の上に…"の出典は『東日流外三郡誌』」説を基本的に支持する意向を表明する(p.369)など、福沢研究を発展させている。
この新書の「あとがき」(p.240-)によれば、安川・平山間での論争が発端となり出版されたということである。以上の点につき、平山の再反論を読んでみたい。
本書の「完全版」は出版されるべき ★★★★☆
 『福沢諭吉全集』の中に諭吉以外の人物が書いた文章が入っている、という重大な主張が本書の趣旨である。そのことを井田進也氏の研究を踏まえながら論証している。
 ところが242頁にあるように、本書は新書にするにあたり総量を約三分の二にし、考証が省かれてしまっているという。これでは一般読者へその主張が受け入れられても、アカデミックの世界への影響は限定されてしまうだろう。また、本書はこの問題の嚆矢の一つということもあり、まだまだ推論が多い。
 できることならば学術書として(例えば著者も出版しているミネルヴァ書房などで)、その後の研究も含めて完全版を出して欲しいと思う。