奥山と鎮守の森は分けて考えるべきですね
★★★☆☆
宮脇昭(1928(昭3)−)さんは3千万本の木を植えた男として良く
メディアに紹介されているように思う。それは潜在自然植生の主木
の幼苗を混植、密植する作業である。
森の荒廃が叫ばれ、それは実は林業政策の失敗(拡大造林や
樹種の選択ミス等)がほとんではないだろうか。もちろん
都市化に伴う人口の上流域からの流失によるいわゆる里山の
放棄もあるのはたしかであるけれども。
さて本書は、ヒトと頻繁に接する自然帯としての森、その一つが
鎮守の森であり、その森の再生が日本の自然環境回復であると
読み取れた。
ここで言う鎮守の森を宮脇さんは、単なる神社の森ではなく、
ひろく地霊をまつった森という意味だと書く。そしてそれは
ふるさとの木によるふるさとの森、であると。
こんな行政の失敗例が出てくる。
昭和30年代山梨県企業局による富士山スバルラインの環境破壊が
良い例であり莫大な量の高木、亜高木が枯れていった。
(林務部からの調査依頼が昭和47年頃とある)
信州のカラマツ植林地:台風のあとを見ると、根が浅いために
えぐられた様に倒れている。自然界では最高条件と最適条件が
違うのだと指摘する。(下刈り、間伐等で土地本来の競争相手
を排除して木を育てるため)
宮脇さんが重要だと(本質)と指摘するのは潜在自然植生を
読み取るということだ。
これはすべての人間活動を停止した時にその土地の自然環境
の総和が終局的にどのように植生を支えうるかという理論的な
自然植生をいう。そして日本列島の潜在的自然植生のほとんど
は森である。と。
ただ、宮脇さんの活動は人里に近い場所でのものであり、
もちろん奥山でも可能なのかもしれないが、奥山の場合は
平野虎丸さんの「日本政府の森林偽装」に記されている
ような皆伐後は何もしないのが潜在自然植生に値するのでは
思った次第。
日本の森って
★★★★☆
タイトルが面白かったので
本屋さんで手にとりました。
木を育てることの大切さ。
そのこころ。
そして、著者がなぜそういうことになっちゃったのかが 書いてあります。
タイトルから一寸宗教的な本かなっと
思いましたが、
ある意味、日本という国の
そこで育った人が森を愛する気持ちを思い出すという 宗教的な本だったかも・・ ^^
こんなわたしでも、
神教や、アニミズムでなくとも
自分の国の木を大事にする気持ちは判りますし、
近所の古い熊野神社のうっそうとした木々の下は
こころが安らぐものです。
また、対談のお相手も、私の住んでいる町のお寺、曹洞宗大本山 総持寺の貫首の方とのお話ということで、身近に感じて
読ませていただきました。
早速ドングリ拾いへ行きました
★★★★★
土地本来の樹木を多種植えることで、自然の再生に短時間で成功する技術はすごい。そして誰でもできるように、簡単に分かりやすくそしておもしろく書いてあり、とても勉強になりました。早速子供達とドングリ拾いへ行ってきました。
使命を遂行する学者の渾身の書
★★★★★
筆者の迫力に、ちょっと及び腰でした。
でも、無駄に抗わず、宮脇先生の使命感と熱意にあてられながら読むのも良いですね。
森林破壊に対して、生態学者の全知能、全精力をかけて「鎮守の森」=「その土地固有の植生」を見出だし、ドングリから育て上げる。
最高条件ではなく、多少我慢し、水も控えめで、多種多様な競争をさせる「最適条件」こそ根を深く下ろすもの。簡単に書いてありますが、真の植生を見抜くのも、最適条件を見出だすのも、生態学に深い造詣がなくてはできません。
そして、理論に実践を、核になる知識を基に国内外に活動を拡げる。
真の学者、かく在るべし。
そんな感慨を覚えます。
P32からの「植物社会の厳しい掟」は筆者のセントラルドグマともいうべき部分です。この章をお子さんと読んで、P35の図を書くと空間的な把握が進むでしょう。P35の図でも詳し過ぎるくらいで、子供達に書かせると時間がかかります。○に棒くらいの簡単な図を見せて誘導すると良いと思います。セントラルドグマゆえ、何度も書き込まれ、文章にも無駄がありません。
木を植えたくなりました。
「森」を見る目が変わりました
★★★★☆
「魂の森を行け」に続きこの本を読みました。
読み物としてのおもしろさ、読みやすさ、という点では「魂の森を行け」かも
しれませんが、「鎮守の森」の方は宮脇先生の著書であり、こちらの方が迫力
があると思いました。
学者らしい記述部分もありますが、なによりも著者の強烈な人間性といった
ものが感じられます。
この本を読んでからというもの、屋外でちょっとした「森」を見かけると、
今までは感じなかった「幸せ」な気分を感じます。
土地本来の植生に基づく森が今後少しづつでいいから増えていってほしい、
という思いを強くしました