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父の縁側、私の書斎 (新潮文庫)

価格: ¥515
カテゴリ: 文庫
ブランド: 新潮社
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能古島と石神井の檀邸の話が間取り図付きで紹介されているので読んでみた ★★★★★
 沢木耕太郎「檀」を読むにあたって、バランスを取るために読んでみた。檀一雄「火宅の人」はずいぶん前に読んでいたし、檀の母の手になる「火宅の母の記」はちょっと違う気がしたのだ。
 このエッセイでは、まずタイトルが「なぜ作家である父の書斎ではないのか」に引っかかったのと、能古島と石神井の檀邸の話が間取り図付きで紹介されているので、併読するには適切だと思ったのだ。
 「火宅−」の時代は檀ふみさんは幼少であり、彼女の父親像は「非日常」とは言うものの、随所に父親を崇拝していることが感じられる。その父と家・書斎の関係はどうだったのか。実の娘ならではの分析やエピソードを知ることが出来て、檀一雄研究としても有意義な内容だと思う。
 エッセイ集として読む本作品は、定型のスタイルをうまく書いているなと感心する。どこかのインタビューで「鉛筆はだんだん丸くなるから嫌いで、太さの変わらないシャープペンシルの方が好きだ」という意味のことを話していたが、そんなピシッとした部分と、おっとりしたお嬢さん的なところ、そしてサービス精神からくる自虐的なところをうまく使い分けて、最後を綺麗にまとめる手腕はかなりの改訂を経ているのだろうなと思わせる。
 テレビで見ると優等生(友人に言わせると「叱られそうな厳しい先生」)に見えてしまう彼女も、母親に言わせると「自分の部屋が衣装や小物などで溢れ、収拾がつかないほどになっている。根が几帳面で、片づけるなら徹底的にやらなければ気がすまないため、かえって手がつけられなくなっている」(沢木耕太郎「檀」)のだそうで、寝るときは場所がなくて母親の部屋に避難するとか。
 そんな硬軟のギャップをもった檀ふみさんの楽しいエッセイ集だ。
ほぼ同時代を、年を重ねてきたのだなと感慨深くなったり、くすっと笑ったり… ★★★★★
表紙に、スタイルのい〜い少女時代のふみさんがいます。
私より四つ五つ年上の彼女を知ったのはNHKの「連想ゲーム」、最近は高学歴アイドルがわんさと
テレビに出ていますが、当時のふみさんは珍しい存在でした。
上品なにっこりした笑みを湛えながら、的確に答えていましたよね? キャプテンは天地総子さんか
藤田弓子さん…。

ふみさんの本は、『ほろよいかげん』以来でした。
『ほろよいかげん』は、う〜ん、まだまだ発展途上だなという感じがぬぐえませんでした。
何年も、いえもう一桁多い年月(ネンゲツじゃなくてトシツキと読んでくださいな)彼女の作品を読まずに
きました。
『父の縁側、私の書斎』は、亡くなって15年を過ぎたわが父の彼なりの偉業を最近になって振り返りだした
私が、たいへん気になったタイトルでした。
ふみさんも、何かを振り返ろう、見つめ直そうとしているのではないか、そう感じました。

「お勝手」だなんて言葉、このごろの若い人はほとんど使いませんよね、「ジコチュー」の丁寧語か?と
思うかも…。
ほぼ同時代に育ち生きてきたふみさんの筆致に、なんともいえないくらいの安らぎを覚えます。

まだ半分くらい読んだところなのですが、後半も楽しみです。
檀親子の住む家 ★★★★★
火宅の人、檀一雄の長女で女優の檀ふみさんが父親の思い出を自宅や福岡の能古島の家、別荘として使用している山の家等の歴史とともに語っている本です。このようなジャンルの本があまりないため大変興味を持って読むことができました。やはりこれは自他共に認める大浪費家の檀一雄氏が父親でないとかけない本でしょう。そのような父の浪費癖を反面教師としながら、檀ふみさんにも同じような兆候がみられる点がとても面白かったです。
一気に読みました ★★★★★
現在家を増築中ということもあり興味を持って読みました。家という建物を話題としていますが、家とは建物そのものだけではなく、その中で共に暮らした家族との思い出や歴史そのものだということを改めて感じさせてくれます。「人生を豊かにするのはお金でも物でもない。幸せな瞬間の記憶である。」という言葉が一番気に入りました。共感する部分が多く、またこれから家を建てる人にもとても参考になる本だと思います。初めて壇ふみさんの本を読みましたが別の作品も読みたくなりました。
品性 ★★★★★
 友人の阿川佐和子が、この本の広告の帯に、「この家には、私の知らないしっとりと美しいダンフミが住んでいる」と書いている。
 しっとりと美しい、というのは、ダンフミのことであると同時に、その洗練された文体へ、敬意を表してのことだろう。

 すべて家にまつわる文章で構成されているが、それがいかに雨漏りのするアバラヤであろうと、火宅の家であろうと、文章には、品としか呼びようのないものがただよっている。品のなさを武器にするオンナの横行する昨今、ぬぐっても消えない品があるということは、貴重以外のなにものでもない。といって決して気取っているのではない。そのあたりの加減が、なかなかのもの。