インターネットデパート - 取扱い商品数1000万点以上の通販サイト。送料無料商品も多数あります。

贅沢の条件 (岩波新書)

価格: ¥735
カテゴリ: 新書
ブランド: 岩波書店
Amazon.co.jpで確認
単なる「富」ではない「豊かさ」と「幸福」とは何か ★★★★☆
ココ・シャネルをはじめ、白洲正子、森茉莉といった女性たちやフランス貴族の生き方を振り返りながら、本当の意味での「現代の贅沢」を浮き彫りにしています。単なる「富」ではない「豊かさ」と「幸福」とは何かを考えるヒントになるはずです。
近年の先進国では、賃労働に従事する人のほうがエライ、的な風潮がなきにしもあらずで、日本においては既婚女性の労働力人口の低さが問題視されています。しかし、そもそも昔は賃労働に手を染めない有閑階級こそが優雅とされていたことを考えると、日本の専業主婦は、貴族的な生き方を選び、実現している人々、といえるかもしれません。
贅沢にはさまざまな形がある ★★★☆☆
「あなたにとって贅沢とは」。この問いに対して本書はさまざまな贅沢の形を見せる。19世紀の貴族階級は有閑階級であり、閑暇が贅沢であった。その後、男の金を浪費しファッションに贅をつくす女性、そしてシャネルの誕生へとファッションを中心に「贅沢」論が展開される。ラグジュアリーな女たちとして、森茉莉、与謝野晶子、白洲正子、リタ・リディグも紹介される。

お金では買えない豊かさ、精神的な豊かさ、時間の贅沢、手仕事の贅沢さなど、最後は最近の流行りに落ち着いてしまった結論に目新しさは感じなかったのは残念であるけれど、さまざまな贅沢の形を点描してくれた点では興味深い。
贅沢の諸相 ★★★★☆
 予想されたこととはいえ、「贅沢とはやはり閑暇」なのである、という結語は、陳腐である。とはいえ、「贅沢」にまつわるもろもろの話として読めば、面白い話が多い。
 なかでも興味深いのは、修道院にまつわる話である。世俗から離れ、長い伝統のある場所。著者の物言いをそのまま受け取れば、現代の贅沢のルーツをたどると、総てが修道院の伝統に行き着きそうである。歴史の風雪に耐えた建物、素晴らしい眺望、樹齢数百年の大樹。見事な「農家」も、その延長線上にあるだろう。
 ただ、シャネルのデザインの発想の源が、彼女の育った修道院にあるということはよくわかったが、著者の説明からは、シャネルのデザインと贅沢さの関係を理解することができなかった。むろんシャネルをはじめとするブランド品が、素材を選びぬき、緻密な手仕事によって作り上げられているがゆえに非常に高価な品となっていることは理解できる。それが贅沢なものであることはわかる。だが、そのこととデザインがラグジュアリーな製品の大きな要素になっていることとは別の問題だろう。
 軽い読み物としては、様々な発見がある。フランスのブランド品が、第二帝政期にナポレオン三世が、国際競争力を持った奢侈品産業として育成されたものであること。パリ万博で、金・銀・銅のメダルを授与されたことをきっかけとして、ラグジュアリー・ブランドになっていく。ブシュロン、クリストフル、バカラ、ルイ・ヴィトン等々。この万博のメダル授与のシステムをオリンピックが踏襲したとは、意外だった。
実に贅沢な試み ★★★★★
欧日における古今の文脈に贅沢のありよう・あり方をたずねる佳作。著者が明確なイメージをもって
研究に入っていることもあり、焦点の定まりようは、終始読者の期待をそがない。研究者として客観性
を失うことはない。同時に、審美者として憧憬を失うこともない。この不安定な平衡状態を維持してい
るのは見事。さすがはバルザックの「あれ」の翻訳者。

大切なのはその文体。贅沢を論ずる文体が貧相で何が語れよう。文字面から香る色気にこそ、贅沢の研
究から入り、贅沢を探求し、贅沢を垣間見るに至った著者の境地がひっそりと宿るさまを心地よいと云
わずして、何とする。

人それぞれ無量(無聊)の時を楽しむ ★★★★★
「贅沢」は日常語としてマイナスイメージがあり、人聞きのいい言葉ではない。しかし、価値観が伴った遊び・優雅などを意味すれば、ブランド的贅沢へと昇華される。
 きらびやかな男たちの「リュクスの劇場」ヴェルサイユやダンディの「優雅な生活」は悪徳と言い切れない。
 森茉莉は『贅沢貧乏』の中で「偽もの贅沢」を鋭く突く。そして『ほんものの贅沢』は「安い新鮮な花をたくさん活けて楽しんでいる少女の方が、ほんとうの贅沢だ」とみている。
「精神の貴族」「恋の驕り」与謝野晶子も楊貴妃にも似て「恋という贅」を尽くした女人だ。
「遊びをせんとや」生まれてきた「趣味の貴婦人」白洲正子もまたラグジュアリーな女たちだ。
 禁欲のパラドクスには触れないこととし、〈時をとめる術〉「贅沢の条件」でしめくくろう。ビジネス社会にあくせく、あたふた生きる時間を止めて「閑暇は時」を過ごせることこそ最高の「贅沢」なのである。人それぞれの無量〈無聊〉の時を見つけたまえ。