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進化のイコン―破綻する「進化論」教育 生物教科書の絵は本物か?

価格: ¥3,570
カテゴリ: 単行本
ブランド: コスモトゥーワン
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自然選択 ★★★★☆
個体変異とはなんであろうか。

 「もともと一つしかなかった種から新しい種が生まれるためには、もとの種の個体の中から、なんらかの形で異なるものが現れ、それらどうしのみが交配するようにならねばなりません。このようなことが生じる基礎を提供しているのが、種内の個体変異の存在です。」(長谷川眞理子)

 個体とは一個である。個体変異とは二個以上、多数の個体が存在することである。

 個体変異とは、個体が一個独立にあるのではなくて、多数あることを意味する。そうでなければ、変異とは言わない。変異とは異なるものがあることである。

 個体変異を語ったとたんに「一」は「多」になっているのである。ということは、とりもなおさず、これは「すでに」分化ないし進化を意味する。これは個体の二ボーniveauで言われているので「個体分化」ないし「個体進化」と言うことができる。一方、種の変化は「種変異」がなければならない。これはいかにして可能か。ダーウィンは「個体変異」が種の変異に、つまり「種の進化」になると主張した。その過程は周知のこととなっている。

 種変異(種分化)があることは、個体と同様に、種が多数存在することを含意し、決して一種には還元されることはない。生物は一つの生物から進化してきたとか、種分化してきたとか語られているが、本当にそうであろうか。

 では、どのようにして個体変異が生じるのか。換言すれば、いかにして「一」から「多」が生じるのか、このことが理論的に説明できなければならない。ダーウィンにはこのことの説明がない。

 個体変異を説明できることによってはじめて種の分化ないし種の進化が言われることができる。これについては進化論者は誰も語ってはいない。ただ前提されているにすぎない。しかも、そのような前提に立っていることすら理解しない進化論者がなんと多いことか。このような前提に立つ進化論には、いつも必ず、批判が喚起される。それは理にかなった反論なのだ。


まちがってるよ・・・ ★☆☆☆☆
著者が批判しているのは進化論ではなくて、著者の脳内の「妄想進化論」。
誤りがあまりにも多い。
私の言う誤りとは理論の間違いとか、進化論に反対すること自体が誤りだという意味じゃない。ある研究者が主張していないことを「主張している」と言い換えるような、事実誤認、事実に反する記述が多いと言うこと。一章当たり数カ所から多い章では数十カ所も、重大な誤りが見つかる。S.J.グールド、ドーキンスなどの発言の引用も、本来の意味合いとは全く異なるニュアンスになるよう恣意的に抜き出されている。これは一度でもグールドやドーキンスの著書の該当箇所を読んだことがあればすぐに分かるはず。

ちなみに有力な生物学者として引き合いに出されるマイケル・ビーヒー(ベーエ)は進化論裁判で、進化に関わる証拠として提出された40以上の論文資料を「それでも証拠は不十分である」と言い続け、最後には法廷で、それらの資料に全く目を通していなかったことを白状させられている、ウェルズのお友達の創造論者。

訳者の渡辺氏はあとがきで、日本の参考書のヘッケルの図に関して指摘をされているが、私が調べた限り、その多くでは「ヘッケルの図は誤りである」と本文で述べている。渡辺氏の書き方では、多くの参考書がヘッケルの図は「正しいものとして掲載されている」としか読み取れない。
むなしい議論 ★☆☆☆☆
ちょっと面白かったのは薬剤耐性菌を突然変異の例外としていること。病院で耐性菌の研究には進化論が不可欠なんですよとでも教えられたのだろうか。

あとは屁理屈が多くあまり感心できないですね。個人の問題を理論の問題へとすり替え(ピルトダウン人、ヘッケル)、否定された説の持ち出し(上述の2つに始祖鳥)、研究結果の曲解(突然変異、フィンチ)、進化論自体の歪曲(上2つに加え相同)などが見られる。

またこれらが誤っているとして、著者が正しい考える回答はどうなのか、どのような理論、どのような説明が可能なのか全く示さないのは不誠実です。(さすがに進化論を非論理的と切り捨てたその口で、知的デザイナーによる創造を主張しても説得力がないことは自覚しているんでしょうけど…)

導く存在がいるかどうか ★★★★★
端的にいって自然選択かインテリジェンスで導く存在がいるかという問題である。
創造論者というと瞬間で創造したと信じているのかと誤解をする方がいるが、そのようなことはインテリジェントデザイン派の科学者は信じていない。ただ、導かれないよりははるかにはやい時間でできているだろうという考えや、導かれなければ出来ない内容もあると考えるのである。

この本は自然選択によって立てられた基礎理論が本当に知的満足を与える誠実なものであったかを検討し批判している。
科学的思考法とは ★☆☆☆☆
著者は創造論者、つまりキリスト教の神による世界や生物の創造を信じる人だと言うことは押さえておくべき。
でもそれは内容とは関係ない。内容は内容で独立して評価しよう。

進化論に関する良質の概説書を読んだ人ならボロボロと矛盾や突っ込みの甘さに気づく。もちろん全てではない。
この人はかなりよく進化論を研究している。重要なのは、疑わずに受け入れてしまうか、疑うかだ。
科学的な思考を徹底するのなら、どんな理論であれ疑うべきだ。進化論は疑うが創造論は疑わない、では科学的な思考とは言えない。信仰だ。

ある理論を否定するのであれば、当然批判の対象となる理論がどういう物なのか、一通り理解しておくべき。それが科学的な姿勢。
そして、一通り概説書でも読めば、進化の証拠は少ないなど口が裂けても言えなくなる。
この著者はわかっていてそう言っているわけだが、本当にそう思いこまされている人はこう言い換えるべきだ。
「私は進化論について勉強したことも考察したこともなく、宗教家の言を頭から信じ切っていたので、進化の揺るぎない証拠が山のようにあるなんて知らなかった」