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分類思考の世界 (講談社現代新書)

価格: ¥840
カテゴリ: 新書
ブランド: 講談社
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緩いエッセイとして読むことをおすすめする ★★★★☆
まるでグールドが蘇ったかのようである。良い意味でも悪い意味でも。非常に博識で、やや難解な物言いで、ふらふらと飛ぶ話題。読者をふるい分けようとしているかのようである。著者の主なメッセージは、種の実在性の問題(著者の立場は「実在しない」)と分類に関わる人間の認知機能の問題に集約されると思うのだが…。種が実在するかどうかの話をしているのに、突然幽霊の話に飛べば論点がかすんでしまうのではないだろうか?もちろん著者なりの思惑があるのはわかるのだが。終始このような調子なので、他のレビューにもあるとおり見通しが悪くなっている。これが緩いエッセイとして読むべしと私が考える理由。ところで三中先生、Atranの本は邦訳がないと思うので一冊くらい訳してもらえませんか?
分類されるものと分類するもの ★★★★★
分類とは人間の性である。
西洋哲学をかじれば分類とはなにか、どのように分類をするのかという論説が山のように出てくる。本著でも紹介される博物学から生物学へと移行する時期はまさに分類の本質に迫ろうとした時代である。西洋においては分類というのは文明が始まって以来、ひたすら繰り替え続けられる営為であり、結論のでない課題である。

勿論、東洋、特に中国においても分類はこれでもかというくらいになされている。
類書と呼ばれる一種の百科事典はそれぞれ特徴ある分類をしており、西洋での分類との類似と差異を見るのも面白い。

つまりは洋の東西、時代を問わず人間は分類をする生き物なのだ。
分類とは世界のとらえ方である。
そのままでは茫漠として捉えにくい世界を理解するための手法なのである。

前著「系統樹思考の世界」が事物がどのように変化してきたかを体系化するタテ系の思考を扱っていたのに対して、本書では事物がどのように存在しているかを分類するヨコ系の思考を扱っている。前著と本著はお互いに補い合う存在である。

著者も述べているように本著は前著に比べはっきりしない部分がある。
音楽や文学を枕に論を進めたり、比喩を多用したり、生物学や哲学のわかりにくいよう語や概念が多出したり、お世辞にも読みやすくはない。ただその迷宮のような文章は分類することとはどのような行為かを探り、最後は分類されるものではなく、分類するものの意識へと読者を誘う道筋となっている。

本書を読み終え、わかったようなわからないような気分になったが、それこそが分類というものの本質かもしれない。わからないものをわかるようにするためのものが分類であり、わかりやすさというものも分類すするものによって変わってくるのだ。分類という思考や行為に格闘した偉大な先人たちの苦労が少しはわかったような気がした。
未整理思考の世界 ★★☆☆☆
生物の分類に関心がある人には、様々な理説の紹介が有難い本である。だが、「種」をめぐる哲学議論のゆくえが定まらず、俯瞰的な視界が開けない。読者は多岐にわたる話の行く先がつかめず、判然としない印象をもつのではないか。
繰り返される著者の主張は、ネコとかウマといった「種」は分類するヒトの心の中にあり実在しない、というものである。よりどころは以下の三点となる。
1.「種」は心理的本質主義(事物には見えない本質があるとみなすヒトの認知性向)による心理的な産物である。
2.実在するのは個体であり「普遍」(種)は実在しない、という唯名論。
3.進化生物学や生物系統学が対象とする科学的実体は何か(「種」ではない)、という生物学上の立場。
ただしこのように明示して列挙した記述はない。勝手に整理して申し訳ないが、1から3に定義の話が入り混じって、視界を悪くしている。
さて検証すれば、1は人の「信念」についての言明に過ぎず、その対象の実在性のいかんを論理的に導かない。「種」が実在するのかしないのか何も決めない。
また2の立場からすれば、個体群もデーム(進化生物学で扱われる生物集団の単位)もクレード(系統学の概念で単系統群)も実在しないのであり、いやそうではなく「種」のみが実在しない(著者の立場)というのは結局3による。
要点は3なのだ。本書から一旦離陸して考えてみれば、「種」が実在しないというのは、あくまでも特定の学問領域の中での、特定の条件(進化史的時間軸)下でのロジックである。物理学が相対論や素粒子理論で日常生活からかけ離れた世界を示したことを想起すればいいが、そういった見地は日常の事物の世界には適合しない。きのう夕食に「ホッケ」を食べたのだが(いきなり恐縮である)、「ホッケ」という「種」が実在しないのなら、私はきのう何を食べたのか? 「種」をしりぞける進化学は種分類に基づかない代わりのオカズを何も提示しない。著者は種分類を「ヒトの役に立つ」という点では認めるのだが(実在しないものが役に立つというのも奇妙だが)、それ以上に、種分類の所産によって我々は日々の生存を支えられているという意味で種は実在する。

なお、著者は「進化に反する」として、「本質主義」に対する警戒を繰り返し表明する。もともと本質主義に対する批判が英米圏で起きたのは、無視できない力を持ち進化を認めない創造説を支える、万古不易の「本質」や「実体」についての堅固な信念への対抗としてだろう。この信念のあり様は内外でかなり異なると言われる。「神が創り給うた生物種」という観念と縁遠く、「諸行無常」の(「変化する本質」にもさほどの抵抗がない)日本で本質主義への対抗を注釈もなく受け売りするのは、いささか無頓着と思う。対抗すべき堅固な信念がない状況では、あまり実のない言葉のチェックに終始するだけではないか。
思考行為としての分類とは ★★★★★
本書は、生物分類学者である著者による”分類”学の本である。

個体識別における認知能力の限界から、我々人間は万物を分類する。

では、分類とは何か。
それぞれの個体をどうやって分類するのか。
そもそも、普遍的なカテゴリーは存在するのか。

著者は、分類学における主要な論点を多く挙げながら、人間の分類活動の系譜を丁寧に説明していく。
分類についての形而上学的な問いや実践論の考察を、例を交えレトリックを駆使して述べる本書には、人間の分類活動についての多くの知見が詰まっていた。

分類学の主要な議論についての著者の主張は明確ではないが、著者自身が言うように、まったくの素人でも分類学の全体像がかなりクリアに見えると思う。


専門書ではないが、自然科学と哲学の素養がないとかなり難解な内容だったのではないかと感じる。かなり歯ごたえがある一冊と言っていいだろう。

また、至る所に芸術や文学などのトピックが散らばっていて、これらをノイズと感じる人には読みずらいものになると思う。


ただ、それでもゆっくりと咀嚼しながら読み終えると、生物分類学を超えて分類という思考活動そのものについての考えが格段に深まった。
名著。
哲学の本で、生き物の本ではないですが ★★★★☆
タイトルからして動物・植物の種(しゅ)を対象とした生物分類学の本と見える。事実、著者の専門の紹介には、進化生物学・生物統計学と書かれている。文章は平易だが、新書にしては、内容的にかなり高度で専門的である。種について論じた生物哲学の専門書に近い印象である。諸外国の多くの研究者のさまざまな著書や論文に書かれた生物分類に関する哲学を紹介し論じている。それはそれで生物分類学という研究分野に興味を持つ者にとってはおもしろい。しかし、生き物そのものに興味を持つ人にとっては、何か学者先生の空理空論のご紹介という印象になるのではないかと思う。実際、種概念について多くの考え方が示されているものの、種にまつわる具体的でおもしろそうな、そして、生物分類学者の頭を悩ます事例の紹介がほとんどない。これらはもっと素人向きの読み物用の素材かもしれないが、読者のほとんどが分類学や生物哲学の研究者ではなくて生き物好きと想定される新書では、この方面の話題にもう少し配慮が欲しかった。とは言うものの、手軽に読める類書が無いなかで、高度な内容を比較的読みやすく書かれた本として、生物の種や分類学、また、生物哲学、生物学史に興味ある方には是非おすすめしたい。