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彼女は嘘をついている

価格: ¥1,600
カテゴリ: 単行本
ブランド: 文藝春秋
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冤罪の作り方 ★★★★★
これは、フィクションではない。それが驚きだ。どう考えても説得力がある「被告人」の主張が退けられる。有罪が確定してしまった後、自らの無罪を主張するためには、満期で刑に服するしかないという、逆説的な不条理が存在することに著者と憤りを共有した。あり得ない。

この本は著者が刑を終えて出てきて、再審請求を心に誓うところで終わっている。その後でどうなったのかが気になったので調べると、昨年、10月に報道特集NEXTで放送された特集のログが残っていた。着実に再審の準備をしているようだ。刑を完全に満期で終えているのに再審を要求するということが何を意味するか、明白であろう。驚いたのは、この「被害者」の弁。『人違いの可能性を聞くと「それはない」とキッパリと否定した。』とのこと。一体どういうことなのか?

最近、いろいろな面において冤罪の作られる原因が議論されている。その中でも痴漢はその構造上、冤罪が作られやすいように思われる。というのは、証拠が乏しいなかで、唯一尊重することができるのが「被害者」の主張となるからである。しかし、そういう構造のもとでも、冷静に客観的に判断をすればおかしいことはおかしい。そういう「おかしさ」が裁判官とは共有されていないのが、また冤罪を生み出してしまう原因だろう。この点が裁判員制度で改善されるかとも思えるが、裁判員制度は痴漢などの「軽い」犯罪には適用されないので、状況は改善されない。
こんな不条理がまかり通っているなんて。 ★★★★☆
 ある朝の通勤ラッシュ時にいきなり「痴漢です」と女子学生に手首をつかまれる。身に覚えもないし、証拠もない。助けを求めた警察官には逆に痴漢の犯人に仕立てられ、真実はすべてばらばらと崩れ去る。ここから「空想の痴漢話」が始まった。証拠などない、すべては検察官のでっちあげなのか。私たちが生きているのは「嘘」がまかり通る社会なのか、真実とは何か、正義とは何か。日本の司法システムの問題を突く話題作。

 皮肉にも、女性を痴漢から守ろうという動きとは逆に男性が痴漢冤罪の被害者になるケースが増えている。痴漢の犯罪では、訴えられた側が痴漢をしていないという証拠を提出する必要があるが、その証明は非常に難しいとされている。そして、やってない人も罪を認めざるを得ない状況ができあがってしまったのだ。しかし筆者は何かが「おかしい」と疑いはじめる。「何も悪いことなんてしてない」という自信があった。筆者は自分の無罪を主張しとことん闘う。しかしそこで明らかになるのは、不条理な日本の裁判システムだった。検察官、裁判官からの「罪を認めろ」というプレッシャーに屈することなく闘い続けようとするが、かかるのは多大な費用と時間だけだった。

 無罪を主張し続けた著者に課せられたのは、1年3ヶ月の実刑判決。それが唯一彼が自分の無罪を主張する方法だった。今も不明なのはなぜ女子学生は嘘をついたのか、ということだ。軽犯罪として認識されている「痴漢」は女性にとって都合のいい犯罪になりかねない。痴漢にあえば、学校に遅刻してもいい、痴漢にあえば、示談金がもらえる、といった軽率な考えがなされるからだ。裁判官側も女性の肩を持つことが少なくない。しかし裁判というのは、証拠を徹底的に検証した上で罪の有無を決めるものであるはずだ。何も検証されないまま事件が解決されることはあってはならない。私にとって本書ほど後味の悪い話はなかった。なぜならここでは、私の推測が見事に裏切られるからだ。「正義は勝つ」は物語の世界だけのものなのか?著者の言うように、不条理がまかり通っている現実をより多くの人に知ってもらいたい。
事件は終わっていない ★★★★★
 映画も観ました。この本は、読んでいて腹が立ってくる本です。誰に腹が立つのかというと警察、検察、弁護士もそれに裁判官も。警察という組織では、こんな程度の事件はなんとも思っていないのでしょうか。改めて読んでも、腹が立ちます。先日、この本の著者本人が狭山事件の集会で演説をされていました。是非、汚名を晴らすべく頑張って欲しいと心の底から思いました。
この本を読むか、映画を観るか、いや両方ともをお奨めする ★★★★★
映画「それでもボクは…」を観てから、この本を興味深く読んだ。大枠の経過は同様なのだが、容疑事実の細部は異なる。しかもそれは決定的な意味を持っている。
映画では(つまり周防監督は)、主人公の動きが多少怪しく見えたかも知れない事情を作っており、しかも他に真犯人がいただろうというシチュエーションにしている。つまり被害者は事実被害を受けており、犯人の特定において勘違いをした、という設定であった。
この本で述べられている「事実」の証言では、筆者が客観的に痴漢を(たとえしようとしても)できなかった事情が明らかにされており、その目前にいた「被害者」が筆者を「犯人」に仕立てあげたとしか解釈できない状況なのである。つまり映画と違って「彼女は嘘をついている」のである。
しかもこの「被害者」は、筆者すなわち「容疑者」と全く利害関係がない。つまり客観的にいうと、「被害者」には筆者を犯罪者にでっち上げる必然性がない。まず間違いなく、このような事情が警察および検察の担当者の頭にはまず最初からプリントされたであろう。結果として、筆者の主張と証拠は何ら真面目に考慮させられることなく、痴漢冤罪事件が仕立て上げられるのである。客観的証拠を誠実に検証すれば、この事件は立件すらされなかったはずである。
日本の警察のお粗末さは既知のものとなっているが、検察および裁判所の程度はそれと何ら変わらないと思わせるに十分である。予見を抱いて事件の本質を見ない者たちが国家権力を振り回す、そんな連中と関わりを持ったら不幸である。本書は痴漢冤罪を生むシステムに対する怒りと恐怖を、我ら成人男性に抱かせる。
男性も女性も読むべき ★★★★★
本の中の、“被害者”女性の供述調書のくだりは、ひどい内容でした。
あの調書には、痴漢にあったことがないだけでなく、満員電車にも乗ったことがない人間、
しかも性別は“男性”である人間の発想が入っていると思いました。

私は何度か痴漢に会ったことがあります。痴漢は電車だけでなく、映画館にもいます。
痴漢は絶対に許せない行為です。
痴漢に限らず、犯罪を犯した人間は厳重に処罰し、二度と犯罪を起こさないように
矯正して欲しいと思います。

実際に犯罪を犯して逮捕された人間が、素直に罪を認めれば示談となったり、
裁判をすることになっても執行猶予になってしまう。
それで更生させることができるのでしょうか。

無実の人を拘留し、裁判にかけて実刑としてしまう時間とエネルギーを
本当の弱者の為に使って欲しい。
警察や裁判所が無能であればあるほど、弱い立場の人間が危険に
さらされるのだということを再確認しました。

自分を守るのは自分しかないというのは、決して冤罪に会う可能性がある
男性にだけ当てはまることではないと思います。
自分を守る為には、自分自身が賢くなければいけない。
その為には色々なことを知っておかなければいけない。

“知る為に”男性、女性問わず、多くの人に読んで欲しいと思いました。