女性にとっても他人事ではない
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冤罪にあった男性とその奥さんが、ほぼ交互に書き記した共著です。時系列順に書かれており、また各項が長すぎず読みやすかったです。半分は奥さんの視点なので、女性にとっても他人事ではすまないことが伝わってきます。もし自分の夫、父親、息子や兄弟が冤罪にあえば、女性の人生も大きく暗転してしまうわけですからね。たいていの女性は、痴漢に嫌な思いをさせられたことは1度や2度ではないと思うので、冤罪で逮捕された男性に対して、あまり同情が沸きにくいかもしれません。しかし男性側の視点だけでなく、奥さんや子供が被むった打撃や辛い思いをつぶさに記したこの本は、女性の心にも訴えかけてきます。
事実は小説よりも奇なり
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周防正行監督の「それでもボクは・・・」で役所広司が演じる荒川主任弁護人が、痴漢事件には日本の刑事裁判の問題点が凝縮しているというようなことを言って瀬戸朝香演じる須藤弁護士を諭すシーンがある。
女性にとっては「痴漢行為〜痴漢裁判」というのは男をみたらやったのではないか?と勘ぐるのは当然のことだろう。
それは被害に遭った女性にしかわからないことだとおもうが・・・
しかし、「事実は小説よりも奇なり」なのである。「それでもボクは・・・」でも主人公の加瀬亮演じる徹平が最後に「真実を知るのはボクだけだ」と言っている。裁判(日本の刑事裁判)においては事実がどうかと言うことよりも、事実認定に重きを置く「証拠裁判主義」をとる。簡単にいえば、事実が確度の高い証拠として証明できることと、検察側からその証拠が提出されていることを前提とする。
だから検察側に不利な証拠となればそれを提出しなければよいのだ。これが冤罪をまねく温床になっている。
そして一旦立件されたなら有罪にしないと検察の沽券(成績)に関わるということが厳然としてある。これが周防監督が問題視した有罪率だ。
小説であれば作家の意のままにストーリーを操れるが日本の司法制度が検察の意のままに操られているという事実にこのドキュメンタリーをより「奇」に感じさせる。
司法制度を見直す上で民主的な解決法を探る一助に本書を是非!
痴漢冤罪事件で失うもの
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痴漢冤罪事件は性犯罪者というレッテルを貼られる屈辱と恐さに加え、男性なら平等に加害者になりえる動機を持つだけに無罪を証明するのが難しい。その冤罪の恐ろしさがこの本で伝わる。
痴漢に遭遇し被害者として傷つく女性がいるのも現実にあるだけに、痴漢問題は本当に難しい問題だと思うが、この矢田部さんの本を読むと明かに冤罪なのに釈放されない現実に驚いた。
痴漢冤罪事件を未然に防ぐために、早急に警察での取り調べ方を見直す必要性を感じた。
冤罪で逮捕されたら、男性が失うものはあまりにも大きすぎる。
映画になるだけある、と思わせます
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本書は、原作といっても映画制作と執筆が平行して行なわれているので、厳密な意味では原作ではないかもしれないが、被疑者にされてしまった夫とその妻の2面から同時進行的に、逮捕・取り調べ・拘留・裁判へと進む過程や両者の心の動きを表した文章は“読ませる”ものでした。
警察官や検察官を職に選ぶ者の動機は私には計り知れませんが、仮に“社会正義を守る為”にそれらの職を選んだとしても、“冤罪をうんででも、人を犯罪者に仕立て上げるシステム”になっていることや、裁判官も“裁判官の職権行使の独立”を決めた日本国憲法第76条にあるような独立した存在ではなく、10年ごとの任官や勤務地・同僚との報酬格差を恐れて上司の顔色を窺いながら判決を書かねばならないようになっている事を、読者は理解するでしょう。
裁判官が何故上だけを見るヒラメになってしまうかは、退官した裁判官が書いている『犬になれなかった裁判官』などを読まれると、もっとよく冤罪が作られ、庶民が国や大企業には勝ちにくい、裁判というシステムについてよく分かると思います。
多くの人に読んで欲しい本です
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悪いことをしなければ、国家権力を行使されることはない、と認識している方々には是非読んでいただきたい本です。著者は作家ではないので、表現が上手とはいえませんが、国家権力のおそろしさ、それが最も発揮されやすい刑事訴訟において、国民側にコントロールする術がないことが非常に良く描かれています。また、国家権力に対峙する時に、弁護士と友人がいかに大切かということが非常に良く理解できます。私はこの本を読んで、国民主権が刑事訴訟の面において定着するまで、当面は憲法を変えないほうが良いと確信しました。