アメリカによる空襲の死者は、東京だけで10万人。全国合わせればいったいどれだけの日本人の命が失われたのか?それもその多くは、当然ながら民間人である。本書中の、炭化した母子の遺骸写真に、その印象をより強くする。
8月の終戦記念日に近いと言うこともあるのだろうが、毎年、広島・長崎の原爆の日は人々の意識が、起こってしまった惨劇と失われてしまった尊い命に向けられる。しかし、全国各地で失われた空襲による犠牲者に思いをいたす日本人が、いったいどのくらいいるのか、はなはだ心もとない。
東京が中心ではあるが、本書がまとめているこの空襲を通じて、日本とって先の大戦とはなんだったのか自問するという作業は、決してなおざりにしてはいけない。ただ、そのことのみに終始してよいのだろうか?
日本軍人は、民間人殺害の責任を戦後の裁判において追求された、しかし、日本全土で行われたこれらのアメリカの民間人大量虐殺については、法的にも、政治的にも、道義的にも、何らの追求もされていない。法的、政治的な責任追及は無理だとしても、道義的に許されることではないということを、我々はもっと声にするべきだと思うのだが、一般的な平和愛好家渡渉する人たちは、当時の軍とか戦犯とか天皇とかのことしか非難しない。このことがきちんとなされていれば、その後ベトナムで、アフガニスタンで、イラクで行われ、また行われつつあるアメリカによる民間人虐殺をより小さくすることができたのではないかと思う。
筆者によると東京大空襲に関する信憑性のある統計は存在しないが、一夜にして10万人の死亡者がいたとみられる。中でも犠牲者は一般市民である。そして、広島・長崎に見られる平和公園や記念会館もなく現在では大空襲の傷めいたものを見つけるのはきわめて困難だという。しかし、本書が示す80枚以上の写真が大空襲の真実と惨劇を如実に物語っている。見苦しい写真も多い。これを見る限り、日本は二度と戦争を起こしてはならないというメッセージが強烈にさらけだされる。そして、世界初の原爆被爆国としての経験から世界に何かを発信するのが日本の使命ではないか考えさせられる。本書の写真を見れば理屈抜きに、何があったのか知りたくなるはず。そう思えるくらい写真が真実を物語っているのである。