雪については知っていたが、先生の丁寧な科学思考へ
★★★★☆
これから科学を学ぼうとする人に向け、科学の楽しさを伝える本。心構えと先生の丁寧な執筆には頭が下がります。
科学と技術
★★★★★
科学は再現できることが重要だという。
しかし、ビッグバンや、将来起こることの予測は、再現できるとは限らない。
1度しかおきない可能性のあることも、事前に予測し、それがおきれば、
そのための道具として有用だと思う。
道具として数学を使うあたりが、科学の肝ではないか。
抽象的にまとめることによって、常に真でありつづける学問。
岩波新書のレヴェルを現す本
★★★★★
ごく平昜に書かれていながら、内容が素晴らしく濃いという本が良書という物の特長だとすれば、岩波新書の青色本は、この類の良書が異常に多い。やはり、本当に優れた著者が書いているという事なのであろう。内容は高級であるが、この本は、多分素質の有る者ならば中学生でも、ある程度は理解できる様な本でしょう。
実に面白く、その語り口を始めとして、読む者が、自然に洞察力と展望を持てるように書かれている。同じく青色本に曾田範宗氏の「摩擦の話」という本がありますが、この本は、ごく易しく書かれていながら、極めて高級な内容を、スラスラと説いてしまう質の高い本でした。静摩擦係数と動摩擦係数の取り扱いが実に素晴らしく、ダビンチがすでに、摩擦学の基礎を理解していた事が良く分かる。摩擦理論の数式にオイラーが、変形を加える離れ業も書かれている。オイラーの凄さが、ここでも再認識させられる内容です。
岩波新書は黄色本から赤色本へと変遷しましたが、投稿者の偏見と独断に基づいて、一口に言えば、内容のレヴェルは、低落傾向にあるといって間違いは無いでしょう。なぜその様に成ってしまったのでしょうか?寺田寅彦の随筆は、その軽妙な語り口でありながら、自然観察の鋭さと洞察力は予言的で、極めて高度です。寅彦の弟子であった、中谷宇吉郎は、師の長所を確実に継承していると思います。この様な人たちの輩出が望まれますが、然し、明治の日本人はもう居ないのだから、新たにこの様な人々が育って来る条件を知り、それを作り出し、維持する様な方策を採らねばならない。
余りに、画一化された価値観や社会意識の中からは、本物の知性は生まれずらいのでしょう。それから、行過ぎた豊かさ、目に余るくらいの、子供や生徒の野放図な甘やかし、余りにも稚拙で、落ち着きの無い軽薄に流れるテレビ。子供が育つ精神的環境は、劣化していると感じます。素朴な心や良識が衰退する世間からは、徳も信も義も仁も愛も弱くなり社会の質も低落して行く事が多いだろうか。人間の資質と訓練が低落すると、その国のポテンシャルは必ず衰退するのだ、人間の資質を規定するのは、その生活を為す知的・自然的環境であり、また、価値観・理念・日本人の真の誇りという環境です。
科学的なものの本質について
★★★★★
今日的な科学哲学のテーマが、軽くではあるがほぼ網羅されているともいえる。
時代を考えると、非常に良書。
第1章で、科学には限界がある、ときっぱりと言い切ってしまう。
筆者が本書で何度か用いる「人類が火星にいけるようになったとしても、テレビ塔の上から落ちる紙の行方はわからない」というのも、それをよく表している。
十一章の結びを引用しておこう。
「自然科学がこのごろ非常に長足の進歩したために、科学万能的な傾向が、風潮になりつつあるように思われる。しかし自然科学は、人間が自然の中から、現在の科学の方法によって、抜き出した自然像である。自然そのものは、もっと複雑でかつ深いものである。従って自然科学の将来は、まだまだ永久に発展していくべき性質のものであろう。」(p196)
この本の内容を非常に表しているように思われる。
なお、個人的には、単位を条約で定義づけてしまったために、1国際アンペア=0.999835絶対アンペアのような奇妙な事態が起きてしまっているというのは、わりとおかしかった。
他の科学論の本として、村上陽一郎「新しい科学論」、戸田山和久「科学哲学の冒険」、伊勢田哲治「疑似科学と科学の哲学」、内井惣七「科学哲学入門」を挙げておく。
宇宙の中の自分を見つめる
★★★★★
高3の夏休み、この本を読んだときの衝撃は忘れられない。
「科学は直線的に進化していない」「科学は自らの方法論でわかるところを説明しているだ
け」「自然には科学の方法ではけっして理解できない広大な領域がある」……こういった主
張を、一級の科学者が語っている。小学校以来がちがちの理系少年だった私は、頭をハン
マーで殴られたような気分になった。
結局大学では志望通り理学部に進んだが、もしこの本に出会っていなかったら、周囲の同
級生や先輩たちと変わらない、もっとずっと視野の狭い人間になっていたことは間違いない。
そして科学に対する信頼と、それゆえの傲慢さを持ち続けていたろうし、いわゆる曖昧で結
論の出ない「文系的学問」への蔑視の念を、今でもきっと払拭できなかっただろうと思う。
この本は、科学を志す学生や、現に科学的手法で仕事をしている人が、「自分の立ち位置」
をしっかり捉え直すのに、格好の書だ。自分はこの宇宙的規模の自然のただ中で、一体何
をやっているのか、やろうとしているのかということを。
それは、自分の仕事を無意味に感じることに決してつながらない。それより、所詮、宇宙か
ら見れば塵のような存在に過ぎない人間という生き物が、無限の自然を相手に鑿(のみ)を
ふるう崇高な営みとして「科学」という手法をとらえ直すことに、きっとつながるだろう。