被爆者の撮影をしたときの心理
★★★★☆
原爆投下について、投下後になってから、その理由が様々に議論されているが、原爆投下実行者たちはとりたてて投下の是非を議論していない。これは、都市無差別爆撃の延長線上にあるからである。すでに、B-29によって大規模な無差別爆撃が実施され,大量破壊・大量殺戮が行われていた。そのような中で,原子爆弾は、驚異的な破壊力を持つ秘密兵器ではあるが、それがもたらす被害については、大規模な通常爆撃と大差ない----このように考えられていた。
被爆直後の広島の中心地を訪ねた松重氏は、たまたま出勤が遅れたために、命拾いしたようだが、そこで多数の被災者を見る。報道員としてファインダーをのぞくと、被災者たちがこちらに目を向ける。このように、カメラマンの視点で、被災地を訪ねた松雄氏の、当時の心の動きが、臨場感を持って語られる。報道という仕事は、被災者救護とは無縁で、冷酷な心になりきることで、被災者を「被写体」に転化してしまう。私は、そのように、思っていた。戦争報道カメラマンが、一枚の写真で出世することを選択した、冒険野郎のように感じていた。要するに、苦しんでいるものを撮影して、自分の個人的利益にするいかがわしい人物のように、思っていた。たしかに、そのようなカメラマンも居るであろう。しかし、松雄氏の報道陣の姿勢は、5枚の写真しか取れなかったこと,平和を熱く語る中にもあらわれているようだ。「涙で曇るファインダー」がそれを象徴するように見えた。