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オックスフォード連続殺人 (扶桑社ミステリー)

価格: ¥950
カテゴリ: 文庫
ブランド: 扶桑社
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連続性の罠と皮肉な結末 ★★★★☆

オックスフォード大学に留学中のアルゼンチン人の“私”と世界的数学者の
セルダム教授は、“私”の下宿の家主である未亡人が射殺されているのを
発見する。

セルダム教授のもとには「論理数列の第一項」と書かれた殺人予告が
届けられており、さらにその後も、論理数列になぞらえたメッセージが
教授のもとに届くたびに不可能犯罪が発生し……。



事件が起きるたびに探偵役のもとに届けられる論理数列
を模した記号により、連続殺人と看做される本作の事件。

しかしそこには、事件全体をコントロールし、捜査陣を誤誘導
すべく「犯人」が仕掛けた、“連続性の罠”が存在しています。


こういった趣向は、過去に前例があり、勘のいい読者なら、すぐに
気づいてしまうかもしれませんが、アプローチの仕方や解決の演出
に、本作のオリジナリティを見出すことができます。

とくに、事件を完全にコントロールしていたはずの「犯人」が全く意想外の
悲劇を生み出してしまうという皮肉な真相は、よく出来ていると思います。




メタ推理小説の決定版! ★★★★☆
 推理小説の歴史を振り返れば、ヴァン・ダイン等を筆頭に多くの哲学的推理小説らしきものが存在するのは言うまでもない。そして、その手の推理小説な中では、おそらく本書が最高峰であろう・・・。

 数学で博士号を取得した著者は、数理論理学と哲学の知識を活かし、「推理とは何ぞや」という問いに挑戦する。この小説は、推理小説のトリック云々と言うよりも、推理と言う思考のメタ的側面への言及にこそ重点をおいて書かれたものだと見做した方が良いだろう・・・。まさに、メタ算術こそ数学だと言わんばかりの勢いが感じられるのである。その様な意味において、この小説はおそらく推理小説の好事家達の中でも、賛否が大きく二分されるのではないだろうか!?

 先ず、数学や哲学への言及が多いため、どちらかの知識があれば多いに楽しめるし、当り前のことばかりで決して難しくないのだが―例えば、哲学の知識はあってもべつに数学には詳しくないという場合であっても、科学哲学系統の知識を介してこの程度の数学の話なら言わんとすることは簡単に理解できる筈である―、しかしどちらの知識も無い場合、下手すると最初の方でスグに読む気を失う可能性があるのではないだろうか・・・!?
 また、オチ自体も著者が挙げる哲学的・論理学的な部分と関係してくるので、いわゆるアッと言わせる様なトリック等にはあまり重きを置いていないのであろうか、とにかく「凡庸」としか言い様がない・・・。
 ですから、純粋に「メタ推理小説」として読みたい人向きでしょう。

 尚、余談ですが、前述でも少し触れました通り、現代の数学や哲学等の世界では長年に渡り当り前とされてきた様なベタなことばかり書いてあるにも関わらず、記述から推測してその中の一論者というに過ぎないであろう探偵役の数理論理学者をまるでパラダイム・シフトを起こした人物の如く描き、あのクルト・ゲーデルと並ぶ天才とまで呼ぶのは如何なものであろうか・・・!?

 さてさてしかしながら忘れてはならないことですが、現代の数学や哲学等の世界では当たり前のことを一通り正確に踏まえて書いてあるからこそ、「推理とは何ぞや」という問いへのしっかりとした回答が出せるのであって、「ベタな内容」というのは決して悪口ではありません・・・。ヴァン・ダインの様な、少なくとも今日の思想史研究の水準ではとうてい通用しない、イイ様に勝手に解釈したニーチェ論を推理のベースの据える夜郎自大な作家よりは遥かに優れている(笑)。実際にこの小説、読み様によってはかなり深読みも可能であり、著者がどの程度意図して書いたものか定かではないが、一例として、哲学的な立場から、経済学あたりで大理論の如く祭り上げられいる「ゲーム理論」信奉を批判していると読むめるところもある(現実的な学問の代名詞と化した経済学への批判に繋がる辺りも、流石はメタ推理小説である)!哲学的な推理小説を書く上で、それぞれ著者のディシプリンの違いによって多少アプローチ方法は異ったとしても、本書のレベル以上のメタ言及はなかなか難しいでしょう・・・。

 結論として、メタ小説としての出来は星5つですが、トリックの凡庸さが引っかかり星1つ引き、総合評価を星4つとした次第です。

 さて最後ですが、おそらくこの著者、推理作家としては「一発屋」だと思います。良くも悪くもこの様なメタ推理小説は二つ以上は書けないし(そもそも書く意味がないため)、またかと言って作風を変えて哲学色を排したら、もう強みがなくなるでしょうからね。純文学の作家みたいですし(?)、もう推理小説を書く必要も無いのでしょうが・・・。

 それにしても本当に面白く、昔から私は深夜寝る前に少しずつしか推理小説は読みませんが、明日しっかりと仕事に行けるだろうかと思いながらも、三晩で一気に読んでしまいましたし、蒸し暑く寝苦しい床に就く前の納涼効果を貰いました。
 とにかくメタ好きなら非常に楽しめる筈です!
薀蓄がないと成立しない作品 ★★★☆☆
アルゼンチンの作家がオックスフォードを舞台に書いた小説。主人公で語り手を務めるのはアルゼンチンからの数学専攻の留学生。異国人から見た時のイギリス人への風刺や皮肉を書いている訳でもなく、題名通りに連続殺人は起きるものの、作者がミステリを意識しているかどうかも不明である。主人公や親しくしている教授が数学者という事で、全編に渡って数学や論理学に関する薀蓄が散りばめられる。

私は数学科出身なので、さほど抵抗は無かったが、上記の薀蓄にめげる方も多いであろう。連続事件には「論理配列」が濃厚に絡み、それに関する分析がこれまた「ゲーデルの不完全定理」などを用いて、読者を煙に巻く形で述べられる。そして、実はこの薀蓄がないと作品が成立しないのである。正直言うと、二番目の事件が起きた段階で、事件の首謀者や真相は明らかになってしまい、ミステリ的興趣は薄い。興味は「論理小説」としての出来なのだが、明かされる「論理配列」の真相はガッカリするものだ。もう少し論理学的工夫があってしかるべきであろう。それでも、最後まで「論理」で押すものと期待していたら、結局最後は人間ドラマとなってしまうのである。作者の意匠が奈辺にあるのか不明である。本筋とは関係ないが、「フェルマーの最終定理」の証明の講演より、恋人とのデートを選ぶ数学者はいないだろう(作中の講演者ワイルズは実在の人物で業績も本物)。

結末までは緊密な文体で読ませるのだが、最後まで「論理」で押して欲しかった。高い前評判と散りばめられた衒学趣味の割りには底の浅い作品。
外国人から見た「英国人」の描写に納得 ★★★★☆
 謎ときそのものはかなり単純で「なんだ」というようなものなんですが、そこに行き着くまでに繰り広げられる推理が数学および論理学にのっとったもので、数学音痴の私には半分も理解できませんでした。途中からそういう箇所はほとんど飛ばして読んでいたのですが、事件の謎の解明にはそれほど影響しなかったと思います。

 妙なエピソードが挿入されていたり、本筋にはあまり関係ない登場人物が意味ありげに書かれていたり、読者を迷わせるワナというだけでなく、現実と夢の境界があいまいになってしまったかのような部分があります。南米の作家特有の資質でしょうか。でもそれが不思議に魅力的でした。
不思議な探偵小説 ★★★★☆
 この作品は不思議だ。帯にある文句には殺人予告、暗号、数学論議、など、いかにもな探偵小説を予見させる。
 が、実際はそうではないのかもしれない。これらの言葉に嘘はない。が、事件の謎だけを見れば、多少の探偵小説を読んだものや、倒叙物のドラマのある回を見ていた者なら、ああ、アレかな? と予測させるもの。
 本書においてはそういったこと以外に興味を惹かせる何かがあり、それが、少なくとも私にはくどさを感じさせず、ページを繰る原動力となっていたように思う。この作者がまた探偵小説を書いて翻訳されたなら、私は買う。