恋愛を思想的に解明する
★★★★★
難解な思想や哲学をかみ砕いて平易に、しかしレベルを落とさず解説することで有名な著者の恋愛論である。にしては、全8章の中で六章までは何か歯切れが悪い感じがする。解っていないことを判っているように説明しているような気がしてくるのだ。それでも、読み進めれば最後の七章、八章でようやく展望が開けてきたような気がする。それは、古典の引用から丁度バタイユ、ドストエフスキーの言葉を借りる段階と期を一にしている。
結局、恋愛という不思議な精神作用の構造論、心理構造主義ではないかと思わせられるような記述に終始していることも拭えないのだが、恋愛という情理でも生理でもあるようなものに一つの熟考を加える、落ち着いて考え直すということを助けてくれるものにはなっているであろう。著者は本書を井上陽水論の完結版である、と最後に言っている。
本書で引かれている『マノン・レスコー』や『トリスタン・イズー物語』が読みたくなった。
それをいっちゃあおしめえよ
★★★☆☆
竹田現象学に基づいて書かれた恋愛論。読者がそれぞれ自分の恋愛経験に基づいて納得できる内容である。読者によっては、恋愛の気付かなかった、新たな一面を発見して、「なるほど!」と膝を打たれるかもしれない。
しかし、この本を読了してきわめて本質的な疑問を抱いてしまった。それは、世のすべての恋愛論に共通するものかもしれないが、こういう内容の本を読んで、恋愛に対する洞察を深めたところで、恋愛のテクニックが向上するわけでもないし(笑)、また恋愛中の自分をセーブできるわけでもないし、要するに実生活における恋愛にはこのような恋愛論は何の影響も与えることはできないのだ。
そう考えると、世に氾濫している哲学の本は数多あれど、恋愛論ほどある意味無意味なものはないだろうか?
かなわぬ恋とわかっていても突進してしまうのが人間の人間たるゆえんだからである。
現代のすぐれた恋愛論
★★★★☆
恋愛においては、不思議なことにプラトニズムとエロティシズムが統合されて現象する。なぜなのか?竹田はさまざまな文学作品を縦横に引用し、分析を加えながら、その問いに迫ってゆく。ここはすぐれた文芸批評を書いていたこの著者の面目が躍如としているところだ。実際、これらの小説が読みたくなって、いくつかのものを読んだものである。
私がこれまで読んだ恋愛論のなかでは、いちばんおもしろかったのは事実である。ただし、竹田青嗣の著作のなかでは、ちょっと特殊かな。この著者の基本的な考え方を、他の本で知ってから読めば、こういう著作にもベースには独自の思考が生かされていることがわかるだろう。