最近、TV評論家などによる「日本はハル・ノートで追いつめられて仕方なく戦争に突入していった」という安直な論調があるが、ハル・ノートは「特に左の上の方にテンタティブ(試案)と明記し、また『ベイシス・オブ・ネゴシエーション(交渉の基礎)とあり、ディフィニティブ(決定的)なのものではない』と記されて」おり、つまり「実際の腹の中はともかく外交文書の上では決して最後通牒ではなかったはずである」(『思い出す侭』)と吉田は回想している。結局「日本人はミリタリー(軍人としての)勇気があるが、シヴィル(市民)としての勇気に乏しい」(『日本外交の過誤』ヘンリー・デニソン)という明治以来の姿勢のまま突っ走ってしまったために(p.103)、「ディプロマティックセンス(外交感覚)のない国民は必ず凋落」(『日本を決定した百年』)してしまったということなのだと思う(p.74)。
吉田がマッカーサーに従順だったのは、鈴木貫太郎の「負けっぷりをよくせよ」という教えに共鳴したからだという(p.133)。それとともに、日本国民がマッカーサー宛に出した手紙はざっと50万通あるといわれており、しかもそのほとんどが追従と賛美のラブレターであったという(pp.231-232)。個人的にこれだけ「負けっぷり」がよかったということは素晴らしいことだったと思うけど、その裏腹で『拝啓マッカーサー元帥様』大月書店という本までまとめられていることには、ちょっとね、という気もする。まあ、日本人的だな、とは思いつつ。