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吉田茂―尊皇の政治家 (岩波新書 新赤版 (971))

価格: ¥819
カテゴリ: 新書
ブランド: 岩波書店
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時代への批判から導かれる、吉田茂とその事績 ★★★★☆
言うまでも無く、吉田は占領期の殆どの期間にわたって首相を務め、
サンフランシスコ講和条約や日米安保など「戦後」という時期を代表する政治家である。
本書は通史的な形式をとり、吉田の出生から首相辞任と没するまでが描かれている。
そして、本書で描かれる吉田茂とは、戦前前後を通して「尊王」と「治安主義」の政治家であった。

アメリカが第二次大戦後のパートナーとして選んだ日本の首相は
自由民主主義という価値観を共有する人物ではなく、「封建主義者」吉田茂であった。
およそ議会制民主主義に馴染めなかった吉田を7年以上も首相の座に留めていたのは何か。
著者によれば、戦前の外交官としての吉田の反軍国主義・早期講和という姿勢が、
尊王や治安主義という「時代錯誤」と捉えられる要素に「免罪符」を与えたという。

言わば、この占領期の吉田を描く伏線として戦前期の吉田の叙述があったわけである。
この吉田の反軍国主義は、親英派としての吉田によるものでなく、
天皇絶対主義者としての吉田によるものであったという事実も興味深い。
そして、敗戦という事実に直面して、皇室制度の護持を至上命題とした吉田にとって
皇室制度維持をもたらした米国の占領政策はあらゆる意味で許されたと、著者は分析する。

漠然とした通史ではなく、各時期の連関を意識した叙述にはハッとさせられるものがあった。
吉田自身や時代への分析や批判も、感情的な議論でないために読者にとっても理を分けたものと感じられると思う。
それにしても政界の人物へのインタビューなど、一次資料を収集した著者の精力には脱帽である。
戦後日本を体現した男 ★★★☆☆
簡略ながら吉田茂の人物像をうまく浮き彫りにしている。
思うに吉田は戦後の時代の要請に従って台頭してきた人物
だと思う。これは戦前の決してエリートコースとはいえな
いキャリアを見ても分かる。

具体的には吉田の成功要因は3つ挙げられる。@自由主義、
反共の台頭、Aマッカーサーの個人的信頼、B戦前派の追
放、吉田の本質はその大胆さにあり、戦後の混乱期はまさ
に彼にとって絶好の舞台だったのである。
副題が投げかけるもの。 ★★★★★
吉田茂は、決して過去の名前ではない。
「関心がない」という人でも、この本を読めば、
日本の現体制の誕生に吉田という政治家が果たした役割について、
瞠目するはずだ。

前半、生い立ちから外交官時代までの話もそれなりに面白く読めるが、
やはり昭和20年以降、政治の表舞台に登場してからの叙述が精細に富む。
日本国憲法公布と、日米安保に裏打ちされた講和条約成立は、
吉田という政治家なくしても、あるいは有り得たかも知れないが、
天皇制の存続と昭和天皇の退位否定、という選択は吉田なくしてはあり得なかった、
ということが後半に詳細に語られる。

昭和天皇自身が退位に傾いていたにもかかわらず、
吉田がこれを押し留めたという事実は、戦後史の最大の「if」として、
繰り返し思い出す必要があるのではないだろうか。
その結果、読後改めて副題の意味をかみしめ、粛然とならざるを得ない。
なぞが解ける。 ★★★★★
吉田茂がテーマというよりも昭和天皇の、戦中戦後史である。
2003年の、謝罪の勅語の草案発見など最新の知見に寄りかかれています。
天皇が退位を望み、そしてマッカーサーと吉田に説得されて
断念するなど、面白いです。瀬戸内寂聴などが偉そうに退位すれば
良かったと書いていますが、それが浅はかである事が分かる。
また中曽根も退位論者でありそれを茂は、非国民というところが、すごい。ウェツラーなどが、ソ連参戦まで天皇は戦争を止める気は無かった
と自著で述べるも、吉田の憲兵隊による逮捕のいきさつを読めば
すでに20年の初めに、平和論者に傾いている事などで、
それが嘘であると分かるとおもう。岩波にしてこんな戦中戦後史に
当たる本が出たとは、驚き。左翼は捨てたのかな?
困窮していた朝香宮も個人的に助けたリッチマン「臣茂」 ★★★★★
最近、TV評論家などによる「日本はハル・ノートで追いつめられて仕方なく戦争に突入していった」という安直な論調があるが、ハル・ノートは「特に左の上の方にテンタティブ(試案)と明記し、また『ベイシス・オブ・ネゴシエーション(交渉の基礎)とあり、ディフィニティブ(決定的)なのものではない』と記されて」おり、つまり「実際の腹の中はともかく外交文書の上では決して最後通牒ではなかったはずである」(『思い出す侭』)と吉田は回想している。結局「日本人はミリタリー(軍人としての)勇気があるが、シヴィル(市民)としての勇気に乏しい」(『日本外交の過誤』ヘンリー・デニソン)という明治以来の姿勢のまま突っ走ってしまったために(p.103)、「ディプロマティックセンス(外交感覚)のない国民は必ず凋落」(『日本を決定した百年』)してしまったということなのだと思う(p.74)。

 吉田がマッカーサーに従順だったのは、鈴木貫太郎の「負けっぷりをよくせよ」という教えに共鳴したからだという(p.133)。それとともに、日本国民がマッカーサー宛に出した手紙はざっと50万通あるといわれており、しかもそのほとんどが追従と賛美のラブレターであったという(pp.231-232)。個人的にこれだけ「負けっぷり」がよかったということは素晴らしいことだったと思うけど、その裏腹で『拝啓マッカーサー元帥様』大月書店という本までまとめられていることには、ちょっとね、という気もする。まあ、日本人的だな、とは思いつつ。