ホーガン作品の魅力とは
★★★☆☆
ホーガン作品の特徴は、メインのストーリーを縦軸としたときに横軸として、ホーガン独特の疑似科学(空想科学)が登場人物である科学者を通して語られることだ。これはホーガン作品愛読者としては楽しみの一つでもあり、そうでない人にとっては作品を取っ付き難くしている点でもある。
前作「揺籃の星」は、そのホーガン流科学理論をいわゆるヴェリコフスキー理論に由来していたため、一部の科学良識派の方達に賛否両論の評価を受けた。引き続き三部作の中編である本作では、それをさらに発展させ、金星だけではなく火星、地球、木星、土星を含めた太陽系全体の生成にまつわる歴史と天文理論が展開され、ホラ話と判っていつつその理論の帰結に期待を寄せた。そういう意味で、ホーガン作品は「大人の小説」なのだ。
さて、その横軸に対する縦軸たるメインストーリーはどうかといえば、少々作りが荒いのではないかと。世界的な大災害に見舞われ、地球における人類文明が壊滅したとはいえ、わずか三年半くらいで生き残った人間の記憶や能力が石器時代に逆戻りするものなのか。一応、今まで経験したことのない恐怖が文明社会の記憶を全て奪ってしまったという説明がなされているが・・・。また、クーデターを起こした反乱分子が自分たちを襲撃する可能性があることを知りつつ、なんの対処もせずに自分の科学理論を仲間たちと延々議論に興じる科学者達がいたり・・・。
本シリーズは、同じ三部作でも、ガニメデ・シリーズとは違い作品設定を借りた独立したストーリーではなく、三作通して一つのストーリーが完結するスタイルのようだ。本当の作品の評価は、次回作を待ってするのが良いのかもしれない。ならば、次回作が待ち遠しいばかりである。
今度のトンデモ理論はラマルクだw
★★☆☆☆
「揺籃の星」 に続くシリーズ第二部だが、
土星の衛星コロニー<クロニア>が舞台になるかと思いきや、
破滅した地球に戻ってしまいます。
原始時代に逆戻りした地球で、
クロポトキンの社会主義を発展させた、
貨幣経済システムを持たないクロニア理想社会を築こうとするが、
前作で救出した地球人が帝国主義を忘れられず、
クロニア政府に反乱し、
地球政府樹立を宣言し、戦争になるという話。
力で他人を支配するのではなく、
協調で構成された国家こそが成長するというクロニア主義だが、
力の行使が好きな野蛮な地球人が銃を向けてくるので、
戦わないわけにはいかず、
結局力の強い者が支配するという説を補強したに終わる失敗作。
平和主義のクロニアなので、
直接兵器を使用するのではなくて、
兵器でないものを兵器に転用して戦うパターンが多いが、
戦ってしまっては、帝国主義の呪縛から乗り越えてない、
やっぱり机上の理想主義じゃん。
平和な理想主義の物語としては、
「断絶への航海」 や「未来の二つの顔」 という
見事な傑作があったのに、
レベルが落ちた同じネタでは手抜きとしか言えない。
ラストの大逆転の特攻作戦も、
盛り上げ方がヘタクソ過ぎて笑う。
あっさり無人探査機をぶつけるのではなくて、
有人の探査機母艦をぶつけるしかないという破目に追い込み、
主人公が体当たりして死んだと思ったら、
乗れない筈の無人探査機で脱出していたという落ちにするべきであろう。
トンデモ理論は、天文学のヴェリコフスキーに続いて、
進化論のラマルクの要不要論を擁護してますw
厄災から四年後なのに、
光量不足に適応した黒い葉の植物が既に地球に生えているww
人間原理も認めているし、
ロバート・J・ソウヤー の「スタープレックス」 よりも、
ハードSFとして劣る。
第三部では宇宙人というかオーバーロードというか、
我々の宇宙を創った神が登場しそうないやんな雰囲気である。
いつものホーガン
★★★☆☆
最近、新刊が出ていなかったジェイムズP・ホーガンの新作は、地球のカタストロフィを描いた「揺籃の星」の続編にあたる物語です。前作「揺籃の星」では土星から生まれた巨大な彗星の影響によって、地球の地軸は回転し公転位置もずれ大地震や大津波にみまわれ最後には全てを失ってしまいます。もちろん、地球上にいた多くの人々もその渦に巻き込まれ、地上にいた人類は文明も都市も土地もすべてを失い絶滅したといっても過言ではない状態になる中での物語でした。いってみればハリウッドお得意の大パニック映画を舞台にしたような作品でした。
本作はその続編にあたり、地球がまだ健在だった頃に土星の衛星に理想郷を求めコミュニティを築いていたクロニア人たちに助けられた、前作の主人公、ランデン・キーンが再び仲間たちと地球に戻ってくる話です。全てを破壊され尽くされた地球。そこではぶ厚い塵のカーテンが太陽から地表を覆い隠し、動植物相はまったく違うものになり、残された人類は原始時代の時代のような様相にまで退化しています。それだけでなく、地球を壊した彗星は今は太陽の向こう側にいっていますが、再び地球に接近する可能性が高いままです。こうした状況の中、クロニア人たちとともに地球に再び文明を取り戻すべく戻ってくるキーンですが、その裏では前作で彼と同様に地球から逃れてきた政府高官たちや軍人達が自分たちの陰謀を巡らしています。
実は、ここも物語のキーになるのですが、理想郷を目指して作られたクロニアでは地球でいうところの貨幣経済が全く行われておらず、彼らにとっての財産や価値は、貨幣ではなく高い技術と文化レベルと全体の調和のためにその個人が何を全体に貢献できるのかといったところに移行しており、それが理解できる人類とそうでない人類に自ずと別れてしまっているのでした。そういう彼らからすれば、政治活動や軍事活動や暴力にしか興味を示せない、また権力への渇望という無意味なものに執着する政府高官や軍人たちは提供するものもない存在でしかないのですが、逆に彼らからすればクロニアは目先のことにしかとらわれず、大義や人類全体のことを考えられない馬鹿げた技術集団にしか見えません。完全に根本のところが違っている両者なのです。もちろん、地球から脱出してきたメンバーの中にはキーンをはじめ、その新しい価値観に徐々になじむだけでなく専門技術で彼らに対して大きな貢献を出来るものもいるのですが、そうでないものとの確執は日々広がって行きます。
ということで、これはもうホーガンファンの方ならよくご存知の、ホーガンのイデオロギーが全開の小説です。
中期以降のホーガンにとっては、軍人や政治家は愚かしいものにすぎませんので、この作品でも科学万能の、科学技術によるユートピア構築こそが素晴らしいパラ色の世界を築き上げるものなんだと高らかに歌い上げています。人間は真理に目覚めれば、もっともっと素晴らしい世界が築けるんだ、科学の進歩は全てのトラブルを解決していくんだという彼のパターンは、ある意味無邪気にすぎるし最近の世界風潮を見すぎると能天気に過ぎるんですが、でも、彼のそうした人間の本質は善であり、科学と理性でそれが開花すれば素晴らしいことが起きるんだという主張は、彼の筆力にかかると単純だからこそかも知れないけれど夢いっぱいに見えてちょっと信じたくなったりします。また、単純に科学万能、科学礼賛の話だけに留まらず、彼のもう一つの特徴であるセンス・オブ・ワンダーが強烈でファンはそれが故についていくのです。
そんなわけでこの物語も上巻までを読む限りそのパターンのツボにはまっている物語です。
ただ、ただ一つ、彼の物語は壮大なホラ話にリアリティを作るためにけっこうな事前準備がいります。具体的には、すごい科学文明、科学技術を主人公達がもっているということをイメージさせるために、そうした科学技術や科学的な話をえんえんとします。それが今回は特に長いです。なので、彼の作品を初めて読む人は、それがひっかかって途中で投げ出してしまわないかとそれだけが心配です。あくまで、前半の前半のそれらの科学談義は物語に入るまでの枕という風にわりきって、場合によっては読み飛ばしても構いません。
下巻を読み切るまでは安心できませんが(前作が今ひとつだったので)、今のところは彼らしい作品テーマだし展開ですので、今までのホーガン作品が好きだった方なら買いです。