不完全なカントの倫理学を知るために
★★★☆☆
この本では「正しさ」の中にも悪が存在するということを、繰り返し主張しています。
それは何もカントに始まったことではなく、キリストも強く主張していたことです。
この本に出てくる自己愛という言葉には、僕には悪とは言えない側面もあると感じました。
カントが生きていたのは今から250年ほど昔ですから、心理学も進化論もまだありませんでした。
倫理は強く人間に根差したものですから、それらは大きく倫理学を左右するでしょう。
カント倫理学は未熟で古臭く遠回しな論と感じるところもあります。
しかしそれは仕方のないことでしょう。
カントの倫理学を知るのには向いているのでしょうが、悪について根本的な理解を望む方は、この本は後回しにしてもいいと思います。
もっと科学的でなければといけないと思います。
途中までいいんだけど
★★★☆☆
偽善者を糾弾するくだりは面白かった。が、道徳がなぜ宗教へ必然的に至るのかが、著者は結局分からないという。それは片手落ちというよりほかはあるまい。カントの三つの問「私は何を知りうるか 私は何をなすべきか 私は何を希望できるか」のうち最後の3つ目が、抜けているわけである。『単なる理性の限界内における宗教』は、人間の根絶不可能な悪への性癖の現実をもって、今生では善へと回心することができなかった人間でも、来世では回信しうるのだという希望を持つことができると述べている。それには、人間には宗教を信じることが必要なのだ。このこと立場から、死刑廃止論などの議論も出てきうるのだ。
道徳が宗教へと必ず導かれる事情を明らかにしていない本書は、カント解釈として、特にカントの悪論解釈にとって大変な片手落ちである。
カント
★★★☆☆
カントなんて原書を読もうと絶対に思わないので、それについてわかりやすく知ることが出来たのは良い。
ただ結論が出てないのが残念だったかな。
だから何?と思った。
そういうのが哲学なのかもしれないけれども。
でました!
★★★★★
駿台模試の現代文の問題で、文章を読んだところ、
「なんだかどっかの誰かに似たひねくれ者だなあ」
と思って著者を見たらなんと本当に中島義道氏だった!
いや、とても動揺しちゃって興奮しちゃっておもしろくて、
試験どころじゃありませんでした(笑)
氏の文章が模試の問題に採用されるとは!
悪に対して批評する者たちは、自らに潜む悪に気づいていない
という鈍感がある、との氏の指摘ですが、なるほど、やはり氏は
するどいことに気がついている、と感銘を受ける。
良書である
★★★★★
もし読者が一般的に悪とされる行為が何かを明確にしたいと思っているなら注意が必要である。
カントはこれについて定義していない。定義できないのだ。
一般的に悪とされる行為よりも高次元な悪についてカントは考える。
カントは人間の行為を4つに分け、
その行為のうち道徳的に善い行為を定義することで、逆に悪を定義する。
その要因とはなにか?
それは行為の動機にあるとカントは言う。
例えそれが人を助ける行為であったとしても、その動機によっては悪になるのだ。
そしてその悪はどうして、どこから生まれるのか?
さらに人間はその悪を断ち切ることができるのか?
カントは人間の社会構造からその答えを導き出す。
本書は終始論理的に話が進められる。
それなりに難易度は高いが著者によってわかりやすくなっている。
考えさせられる本の中では非常に良い本である。